スラッシュ「最低な状況も愛していた」ガンズ・アンド・ローゼズで得た人生の教訓

スラッシュ(Illustration by Mark Summers for Rolling Stone)

最新アルバム『4』をリリースしたスラッシュが語る、「世界で最も危険なバンド」ガンズ・アンド・ローゼズのメンバーとして学んだこととは? 「俺たちは行く先々でカオスと大混乱を巻き起こした」

【写真ギャラリー】ガンズ・アンド・ローゼズ、「世界で最も危険なバンド」のブレイク前夜

スラッシュの勢いが止まらない。2016年にガンズ・アンド・ローゼズに復帰して以来、黒いシルクハットがトレードマークのギタリストは、ガンズ・アンド・ローゼズと自身のバンド(スラッシュ feat. マイルス・ケネディ&ザ・コンスピレターズという途方もなく長い名義)という二足のわらじを履きながら定期的にツアー活動を行なっている。さらに今月は、両バンドから新作がリリースされる。2月11日には、スラッシュ feat. マイルス・ケネディ&ザ・コンスピレターズがニューアルバム『4』を発表。そして2月25日には、ガンズ・アンド・ローゼズのEP『Hard Skool』が発売される予定だ。

ここまでの道のりは、スラッシュにとって長いものだった。生まれ故郷のイギリスで数年間暮らした彼は、まだ幼い頃に家族とともにロサンゼルスに移住し、1985年にガンズ・アンド・ローゼズに加入した。ギターに対する個性的なアプローチを瞬く間に確立し、リリカルなソロと疾走感あふれるリフを駆使して「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」「ノーヴェンバー・レイン」といった名曲を世に送り出すことに貢献した。1988年には、前年にリリースされたアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』がデビューアルバムとして歴代最高のセールスを記録。その後、同時リリースされた『ユーズ・ユア・イリュージョンI&II』(1991年)は、グランジ黎明期に直球ハードロックの金字塔を打ち立てた。

スラッシュズ・スネイクピットという短いソロプロジェクトを経て、1996年にスラッシュはメンバーとの不和を抱えたままガンズ・アンド・ローゼズを脱退。ヴェルヴェット・リヴォルヴァーのギタリストとしてバンドの元メンバーと活動を続けたが、その後はソロアーティストとしてのキャリアを本格始動させた。運命の導きによってスラッシュはガンズ・アンド・ローゼズと和解した一方、精力的にソロ活動も継続している。どんなプロジェクトであれ、スラッシュは自身に与えられた役割を確実にこなしている。



「俺の仕事をしているだけさ」と、昨年の12月中頃に行われた電話インタビューでスラッシュは語った。「マイルス(・ケネディ)がフロントマンとしての役割の大半をこなしているが、ギタリストとしては、結局はどのバンドでも常に俺が表立ったところにいた気がする——だから、程度の差はあるが、どのバンドでも無口な男であり続けた。ギターの音はデカいけど、言いたいことがたくさんあったわけじゃないから。ザ・コンスピレターズでもそうだ。主な違いは、それが俺のバンド——少なくとも、俺がメンバーに声をかけて結成したバンドという意味で——だってこと。きっかけは2010年のソロアルバム『スラッシュ』だった。マイルスが加入したからバンド名に彼の名前を入れることにした。その後、ブレント(・フィッツ:Dr)とトッド(・カーン:Ba)が加わり、ザ・コンスピレターズが誕生した。これがクソ長いバンド名の由来だ。俺ひとりがスポットライトを浴びるのは嫌だったから」

スポットライトを避けてきたものの、スラッシュはこうしてまたステージの中心にいる。ローリングストーン誌の連載「Last Word」でのインタビューで、彼はこれまでの人生で得たあらゆる教訓を振り返った。

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE