コロナ後遺症に苦しむ人々 米国社会の実態

婚約者を亡くしたキャリー・サヴェージさん

昨年8月、カンサス市から北へ1時間ほどのミシシッピー州立公園で、アマンダ・フィンリーさんはめの夕食用に冷凍食品を温める準備をしていた。夜9時ごろ、電話が鳴った。友人のアシュリー・ブライアントさん、通称ジェイクからの携帯メールだった。「もう終わりだ」とメールには書かれていた。「一文無しで、家もない。体重は92ポンド(42キロ)。耐えられないほど痛い。人生ボロボロだ」

彼の状況の悲惨さはフィンリーさんにも痛いほどわかっていたが、この近況には打ちのめされた。2人はもう1年以上もコロナ後遺症を抱えていたが、彼は2021年5月に肺炎を患ってから症状が急速に悪化し、1カ月の半分以上も人工呼吸器につながれたままだった。彼の衣服――体重が170ポンドの時に買ったものだ――は、やせ細った体型にはもう合わなくなっていた。「列車の衝突事故を超スローモーションで見ているようでした」とフィンリーさん。「防げたはずなのに」

携帯メールを送信してから3週間足らず、ブライアントさんはテキサス州ボーモントの病院で、婚約者のキャリー・サヴェージさんに看取られながら亡くなった。享年40歳だった。

「こんなことになるはずじゃなかったのに」と、40歳のサヴェージさんはローリングストーン誌に語った。「あの日(彼が死んだ日)、彼は私を置いていけないと言いました。残りの人生を一緒に歩んでいくはずだったんです。コロナが憎い。コロナが私から奪っていったものが憎いです」

パンデミック以前、ブライアントさんとサヴェージさんはテキサス州ビダーに、寝室2部屋を備えた居心地のいいトレーラーハウスに住んでいた。ブライアントさんはバーテンダーとして働き、副業として床張りの仕事もしていた。サヴェージさんは地元のレストランでウェイトレスをしていた。いつも仕事のない日には、車のエンジンがかからなくて困っているご近所さんであろうと、先ごろ発生したハリケーンの後始末をしているメキシコ湾岸のコミュニティだろうと、ブライアントさんは困っている人がいないか気にしていた。サヴェージさんもしばしば一緒に人助けした。「ジェイクはすごくアクティブで、釣りが好きでした」とサヴェージさん。「いつも満面の笑みを浮かべて、周囲の人を笑わせるのが好きでした。会った人みんなから好かれていました」

ところが2020年3月、ブライアントさんとサヴェージさんは2人揃って失業した。1カ月後、ブライアントさんは新型コロナウイルスの検査で陽性と判定された。当初は失業保険と貯金でなんとか暮らしていたが、2020年10月には家賃が払えなくなった。食いつなぐためにブライアントさんは建設現場で慣れない仕事を始め、車を質に入れてわずかばかりの金を手にした。それでも足りなくて、2人でルイジアナの造園業で働いた――それも2020年11月にブライアントさんが再びコロナに感染するまでの話だ。この時は1回目の感染よりも重症だった。

ブライアントさんが体力的に働けなくなり、家賃を払う金もなくなって、2人は11月末にトレーラーハウスを出て、20年間乗りつぶした4ドアのシボレー・インパラで車上生活を始めた。「ジェイクはよく『そこまでひどいことにはならないよ』と言っていました。彼はいつも、物事を楽観的に見ようとしていました」とサヴェージさん。「にっちもさっちもいかないと思うたび、彼はいつも『何とかなるよ』と言っていたものです」

だが2021年1月1日にはブライアントさんは肺炎を患い、健康状態は一気に悪化し始めた。「車から外に出られない――それが悪化の原因です」とサヴェージさんは説明する。「昨年、テキサスは非常に厳しい冬を迎えました。ちょうどオンボロの車で車上生活を始めたころです。こんなに寒くなるなんて信じられませんでした」

ブライアントさんの健康状態が悪化する中、2人は家族や友人からいくばくかの金銭的な支援を得て、2月半ばからあちこちのホテルを転々とした。そして4月には長らく未払いだった失業保険をようやく受け取った。「ささやかな支援のおかげで、ちゃんとした家に戻れる状態だったんです」とサヴェージさん。「でも4月には、ジェイクの容態はものすごく悪くなっていました」

Translated by Akiko Kato

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