コロナ後遺症に苦しむ人々 米国社会の実態

外で凍え死ぬか、それともコロナに再感染するか

アマンダ・フィンリーさんは2020年3月にコロナに感染した後、デリバリーのアルバイトを辞めることにした。「個人的理由からですが、『ああ、死んでしまったら、これ以上何か病気にかかったら、もう働けない』と思ったんです」と彼女は言う。「感染期間がどのぐらいかもわかりませんし、他の人に(コロナを)うつすわけにはいきませんでした」


アマンダ・フィンリーさん(Courtesy of Amanda Finley)

考古学の研修も受けた人類学者で、セントルイス交響楽団でオペラ歌手をしていたこともある45歳のフィンリーさんは、自分や周りの人々をコロナに感染させずに生計を立てる方法を模索した。「インターネットで子供たちにSTEM授業を始めましたが、それだけでは足りませんでした。フリーランスで働いていると福利厚生はありません。働かなければホームレスになって、ひもじい思いをします」

彼女は2020年7月31日に住む場所を失った。「立ち退きではありません」とフィンリーさんは説明する。「契約更新をしてもらえなかったんです。それでは抵抗しようがありません。契約の打ち切りですから」 彼女は一時的に友人宅の地下室へ移り、2021年5月まで友人たちの家を転々とした。再びコロナに感染したのはそんな時だった。その時彼女が住んでいた家には4人の子供――全員ワクチン未接種――がいた。みたび感染する恐怖、他の人にうつしてしまうのでないかという恐怖が徐々に強まった。そしてフィンリーさんはできるだけ野宿するようになった。

2021年8月には完全に野宿生活になり、ウェストン・ベンド州立公園にテントを張って生活していた。26年間キャンプをしにここを訪れていたフィンリーさんは、ミズーリ川が一望できるこの公園を「お気に入りの場所」と呼んでいる。「(テント生活は)ばかげた選択肢だと思われるかもしれませんが、何度も感染を繰り返すわけにはいかなかったんです」と彼女は説明する。「他の人に私の吐く息を吸わせたくなかった。実際のところ、キャンプは結構好きなんです。人間と七面鳥だったら、喜んで七面鳥を選びますよ」

だが樹々の葉が色づき始めるころ、フィンリーさんの容態にも変化が見られた。「あまりにも寒くなって、10月には雪が降り始めました。その月の終わりにまた肺炎にかかってしまいました。ちょうどその時、キャンプ地のトイレが春まで閉鎖されました。キャンプ生活はもう現実的ではないところまで来ていました」

そこで11月から、フィンリーさんはまた友人たちのソファや空き部屋、地下室を回り、そのかたわらで各種アパートの空部屋を探し始めた。だがこうした生活がもはや安全には思えないところまで来てしまった以上、彼女はテント生活の選択肢も除外していない。「やむを得ない場合はすると思いますよ」と彼女は言う。「極端かもしれませんが、とんでもない二択ですよね。外で凍え死ぬか、それともコロナに再感染するか?」

Translated by Akiko Kato

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