三宅純がSOIL&"PIMP"SESSIONSの2人と語った、音楽制作への向かい合い方

社長:メロディを書いているときに、ご自身の中で浮かぶ風景があるんですか?

三宅:それはないです。時代背景も意識していない。巨大なデータベースみたいなものにアクセスしてる感覚はあって、繋がった時に、あ、僕が聴きたかったのはこれだ」と感じたものが、zipファイルのような形で届く感じなんですけど、ダウンロードするのは一瞬なのに解凍するのにすごく時間がかかる。その過程で「あ、もしかしたらこういうことが聴こえていたのかもしれない」という半分記憶を辿るような、不思議なプロセスを経て曲というかたちになります。

アーティスト同士であるが故に、通常では引き出されないような深部に至るトークはさらに掘り下げられていき、タブ・ゾンビが個人的に聴いてみたかったマニアックな録り音、さらに社長から三宅純の音に90年代のクラブミュージックを感じる面があるという話題が切り出されると、三宅が80〜90年代のクラブ・シーンに精通していたことも判明した。

三宅:ある意味その場にいられることだけで達成感、恍惚感を得られる時代でした。でも、同時にそれは危険もはらんでいるんです。来てる人は自分は先端だってみんな意識しているでしょ。そこに惑わされちゃうんだけど、その先端って、意識されたものは、その時既に過去になってるんです。バブルが弾けて広告が衰退していったときに、遅ればせながらそのことに気がつきました。今まで宗教のように1番先頭を走ることを目指していたのに「待てよ、走ったからってなんだ、君は誰?」って言われてる気がして。そこはちょっとターニングポイントでしたね。

タブゾンビ:それがきっかけでフランスに拠点を移したんですか?

三宅:それも大きいですね。これが先端っていう情報が届かないところに行きたかった。最初浮かんだのはニューヨークです。トップミュージシャンがたくさん集っているし、文化層が厚い多国籍性に惹かれました。ただ、ブッシュ政権になり、9・11も起きたことでアーティストも海外流出し始めて、選択肢として考えにくくなった。ではどこなのか、だんだん狭めていった結果、ニューヨーク同様に多民族都市で、コラボしたいアーティストが往来する、ハブ都市としてのパリの機能が決め手となりました。そこで改めて異分子になる覚悟を決めたのです。

こうしてアーティストとしての拠点について話題が及ぶと生活インフラの話から、今後どこの国、街に拠点を構えるかの話にまで発展。そして、三宅純のサウンドから感じられる異国情緒がどこの国に由来するか。タブゾンビから長年温めていた質問が投げかけられた。

タブゾンビ:三宅さんのサウンドから感じられるエキゾティジムはどこに起因するんだろうって思って。三宅さんの音を聴いていると、地球のどこにもないような都市が思い浮かんでしまいます


Photo by Koh Akazawa

三宅:
素敵なコメントです。例えば中東を例に取っても紛争とか内戦とかも国によってすごいあるでしょ。国同士の憎しみ合いもあって。僕はユダヤ文化が大好きだけど、イスラエルはアラブ系の人からもかなり角度を持って見られる国で、意識の敵対がはっきりある。でも音楽や食事には似ているところがお互いにあったりして、文化的なグラデーションは別に存在する。それを真似したいとか、取り入れたい意識はなくて。生活圏にユダヤの人もいるし、アラブの人もいる、北欧の人もいれば、東欧の人もいる、その中で異分子でいられる環境が好きなんですね。そんな生活圏を僕は維持したい。

社長:そのエクレクティック感はまさに三宅さんの音楽そのもので、どなたかインタビューでもおっしゃっていたんですけど、「三宅さんの音楽を聴くと今まで出会ったすべての音楽のジャンルに出会うことができる」と。

三宅:そもそもジャンルって何かも分かってないんですよ。ジャンルを意識して、ものを作らなくちゃいけないとすると、レコード産業とか、音楽産業が捏造したものに合わせることになる。僕がジャズを狂信的に信じた時代というのは、天衣無縫なアイディアとかイノベーションが日々起こり、想像もできない発想がいろいろなところに飛び火して、日進月歩で予期不能のクリエーションが行われていた。自分はジャズという様式からは離れても、メンタル的には今もその精神を継続したいと思っています。

Photo by Koh Akazawa

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