DOPING PANDAフルカワユタカが明かす、バンド再結成秘話

DOPING PANDAを解散し、ソロ・アーティストとして悪戦苦闘しながらも一歩ずつ前に進んで行くフルカワユタカを追ってきたRolling Stone Japanは、先日バンド再始動のキックオフとして開催された新代田FEVERのライブレポに続き、その2日後に行ったフルカワユタカのインタビューお届けする。

2012月4月19日、JCBホール(現東京ドームシティホール)でのワンマンをもって解散。その後、フルカワユタカのソロ・デビュー5周年のイベント(2018年1月28日、新木場スタジオコースト)のアンコールにサプライズ登場、4曲を披露したのみだったDOPING PANDAが、2022年1月28日、再結成を発表し、3月2日(水)にはニューアルバム『Doping Panda』をリリースし、同日に新代田FEVERにて入場者100名限定のキックオフ・ライブを行った。この後、4月23日Zepp Hanedaから始まる4本の東名阪Zeppツアーが控えている。FEVERライブのその2日後、フルカワユタカがRolling Stone Japanにバンド復活に至るまでのストーリーを語ってくれた。

2020年の夏にDOPING PANDA再始動の話は出ていた

──2年前、2020年の3月のインタビューした時は、バンドが解散してソロになってから、なかなか活動がうまくいかなかった、でも7年かかってようやくいい感じに回り始めた、と。で、この調子で、今年は47都道府県を回るんだけど、コロナが……という話でしたよね。

はい、そうでしたね。で、その後、やっぱり中止せざるを得なくなって。

──でも、それ以降のアクション、早かったですよね。fanicon(会員制コミュニティアプリ)を始めたり、ゲストを呼んでトークと弾き語りをやる配信イベントを立ち上げたり。

そうですね。fanicon、3月に始めてるし、配信イベントも夏前には一回目をやってますね。ほんとに僕、ネガティブ思考なので。「コロナのこの状況、何ヵ月か経てば収まるよ、なんとかなるよ」みたいな人もいたんですけど、僕は、長引くだろうなと思っていました。だから、違う形で、できることを探さないと。そこまですげえいい調子で、広げる感じで活動できていて、やっとソロ・フルカワユタカになれたと思っていたから、止まりたくなかったんですね。

──で、DOPING PANDAをやろうという話は、いつ頃から?

あ、その頃、2020年の夏にはその話が出てるんですよ。夏に河原田さん(DOPING PANDAをデビューさせた元マネージャーであり元ボス)から、メールが来るんですよ。

──河原田さん、今はマネージメントの部署じゃないですよね。

今は、同じグループの、ライブ/イベント制作の会社にいるんですけど。その頃ちょうど、僕とマネージャーと、faniconを始めて5ヵ月くらい経ってたんですけど、「これって、どうなんだろう?」っていう話をしてたんですよ。去年までやっていた、会場をちょっとずつ大きくしていって、いろんな人とコラボして、人のサポートをやって、っていう、外に向かって広げていこうというストーリーと逆に行ってない? コアファンにだけ向けてfaniconをやっていることが……いや、そこは今も感謝してるし、実際すげえ助かってたし、あそこで会員に向けて毎月新曲を発表するのも……あの時、曲を書いたり、発信したりできていなかったら、鬱とまでは言わないけど、俺、何やってたんだろう、とは思うんですよ。実際、まわりにそういう人、いっぱいいたし、ミュージシャンでも、飲食の人でも。

>>関連記事:フルカワユタカの挫折と仲間との出会い、ソロ活動7年間を振り返る

──ああ、そうでしたよね。

そういう時期だったんです、2020年の夏頃って。でも俺は助かってる、助かってるんだけど、これって、内に内に行ってない? 外に外にってがんばって来て、実際、2019年の『epoch』のツアー・ファイナルの渋谷O-WESTの時、お客さん、男の子とか若い子も増えてたんですよ。だから、今の活動だけじゃなくて、もっと外へ向かうことを考えなきゃ、という話をする中で、「たとえばDOPING PANDAをやる、ってなったらどう思う?」「俺はネガティブな気持ち、まったくないです」「じゃあやろうか、DOPING PANDA Zとかにして」みたいに、冗談まじりで、しゃべってはいたんです。そこまで真剣には考えてなかったけど、ゼロではなくなってはいた。っていう時に、ドンピシャのタイミングで河原田さんからそのメールが来るんですよ。「ちょうどそういう話をしていたんです」みたいな返事をしたら、「あ、ゼロじゃないんだ? じゃあ僕がHayato (Beat)につないでみていいか?」と。

──Hayatoさんは、解散後に、チャットモンチーのマネージャーになって、活動終了後は退社して──。

その後、Hayatoが徳島に引っ越してるのは知っていましたし、マネージャー時代の後半にメンタル的にまいってたことも、知っていたので。

──インタビューでも、この間のFEVERでも、本人が明かしていましたよね。

「俺、そこがハードル高いと思いますよ」とは言ったんですけど。で、その時点でも半信半疑です、自分の中で。「可能性ゼロじゃないとは言ったものの、本当にそういうことになった時、やるって言うかな?」みたいな。でも、Hayatoから前向きな返事が返ってくるんですよ。そこから心が動き始めましたね、「あ、ありえるんだ?」って。で、タロティとは年に一、二回ぐらいは会っていたので。メシに誘って、話をして。

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