Broken Kangarooが語る、“架空のサントラ”からスタートした生きるための音楽制作

―それで最初に作った曲が「水平線」?

ちゃんと本格的にDTMで作ったのは、「水平線」ですね。

―「水平線」は、バンドサウンド的な構成ですよね。これは、それまでバンドで作っていたイメージが頭にあってこうなっているわけですか。

たぶん、バンド時代にやっていたイメージの残像があって作ったので、そういう展開になったんだと思います。作詞についても、ちゃんと自分の歌を自分で書いたのは、「水平線」が初めてです。

―「水平線」の歌詞は、内面の葛藤が描かれていますね。好きな音楽づくりに没頭できる喜びがある一方で、将来への不安を抱えているというアンビバレントな感情があったのでしょうか。

音楽をやろうと思ったときは、高校も辞めちゃったし、何の保証もないし、どうしようかなっていう感じで怖かったんです。でもやりたいことをやりたいという決意みたいな気持ちで作った曲だったのかなって思います。「水平線」を書いたのは16歳のときなので、ちょうど2年前ぐらいです。

―じゃあ、ソロプロジェクトとして動き出したのと同時に、世の中がコロナ禍になった感じですよね。

本当、その通りなんですよ。僕が引きこもり始めたときに、世界も静かになったというか(笑)。学校を辞めて通信に入ってリモートで授業を受けるようになったんですけど、「あれ? みんなもリモートになってる」みたいな感じで。僕は誰よりも先取りしてましたから。

―別に自粛して家にいるわけじゃないと(笑)。コロナ禍で気持ちが打ちひしがれたとかいうことは全然ないですか。

僕は引きこもることに何の苦しみもなかったので、家に籠ってパソコンと楽器たち、あとは映画を観たりしてひたすらモノを作っていました。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE