ラウ・アレハンドロ、レゲトンの未来を拓くゲームチェンジャーの飢餓感

 
彼らのシーン

2010年代半ば頃、プエルトリコのアンダーグラウンドで何かが蠢いていた。アルバロ・ディアスやマイク・タワーズといったアーティストが、英語圏のヒップホップやインターネット・カルチャーに影響を受けた曲に新たなニッチを見出し、レーベルを介さずに自分たちで曲をリリースし始めた。

ラウによると、彼らのシーンは、アヌエルAA、ブライアント・マイヤーズ、オズナといったトラップやレゲトンの新たなアーティストたちを擁するもうひとつのシーンと平行して走っていた。「こっちのほうはインディー・アンダーグラウンドといった感じで、もっとヒップスターで、ファッションに入れ込んでいました。リック・オウエンスみたいなね」とラウは言う。「一方で彼らはレゲトン、カーゴパンツ、スナップバックといった感じです」。やがてふたつのグループは合併し、デ・ラ・ゲットー、アルカンヘル、ニッキー・ジャムといったプエルトリコのベテランたちに愛されるようになり、それがプエルトリコ音楽にビッグバンをもたらし、のちに何百万人ものリスナーに届く大規模なコラボレーションにつながっていった。

島を騒がせ始めた一群のアーティストのなかで、メインストリームへと飛び出し、最大級のメガスターの地位をとったのは、地元のスーパーメルカドス・エコノで食料品の袋詰めをしていた、バッド・バニーの名でメガスターとなる25歳の若者だった。ラウとバッド・バニーは、この頃、カロリーナのスタジオで出会い、いつかコラボレーションしようと話していた。バッド・バニーがブレイクしたとき、ラウはそこに大勝利を見た。「誰が最初にブレイクするかは関係なかったんです。彼は新しいムーブメントの扉、開かれた扉をつくったんです」と彼は言う。「誰かがすごい音楽をつくったなら、その周りには同じことをそれぞれのやり方でやっているアーティストがわんさかいるんです」。

それでもラウは再び壁にぶち当たった。2016年に地元でライブをやっていたところ、近所の人がエリック・デュアーズという名のプロデューサーの電話番号を教えてくれた。ザイオン&レノックスやデ・ラ・ゲットーといったレゲトンの大物と仕事をしていた人物だ。連絡してみたが返事はなかった。しかし、その後ふたりは巡り合うことになる。トラップの大規模なコンサートでラウと一緒に出演していたラッパーのラファ・パボンが引き合わせてくれたのだ。「それから、さらに3カ月ほど待ちました」とラウは振り返る。待った甲斐はあった。翌2017年1月にラウはデュアーズのレーベルであるデュアーズ・エンタテインメントと契約した。

ラウは、お金のなかった頃のSoundCloud仲間とコラボレーションを続け、一時は状況が温まってきたかのように見えた。そこに、ハリケーン・マリアがプエルトリコに上陸し、カリブ海史上最悪の自然災害をもたらした。約3000人が死亡し、何千もの家屋が破壊され、多くの場所で1年近く停電が続いた。音楽をつくるなど論外だった。「地元で活動しているローカルなアーティストは、街が止まってしまったら何もできません。動けなくなってしまいます」。バッド・バニーのような注目株であれば海外でのレコーディングの選択肢がありえたことを指摘しながら語る。「でも、私やマイク・タワーズ、ブレイには……届ける相手がいなくなってしまいました。私たちのお客さんはこの島ですが、その島全体がフリーズしてしまったんです」。ラウは小売業に舞い戻ることになった。百貨店のノードストロームで働き始め、どこでもいいから転勤できるよう希望を出した。ニュージャージー州に派遣され、そこでさらに1年が過ぎた。そして2019年、ついにデュアーズは、島に戻ってスタジオで音楽制作に没頭するならわずかだが給料を払うと約束した。ラウは即座にプエルトリコへと戻った。


最初のシングル「La Oportunidad」(2017年)のリミックス、アルバロ・ディアスやマイク・タワーズが参加


ダンス

スタジオで何時間も過ごすことは、ラウが思い描いていたことのほんの一部に過ぎない。彼は、ステージで何か違うことをしたい、他のプエルトリコのアーティストがやっていないことをしたいと思っていた。「『今、ラテン系のアーティストにダンサーはいないな』と考えていました」とラウは言う。

レゲトンの中心にはダンスがある。なにより、ダンスミュージックとしてマーケティングされるジャンルだ。レゲトンのダンスは黒人文化発祥のダンススタイル、ペレオに由来し、学者のカテリーナ・“ガタ”・エクレストンはそれを「服を着たままのセックス」と呼んだが、同時に黒人の抵抗の歴史の象徴でもある。「レゲトンは、ペレオのダンスの動きを転用し、より普遍的なものにした」と彼女は語る。長年にわたってアーティストたちは他の系統のダンスをこのジャンルに織り込んできた。レゲトンの創始者のひとりとされるラッパーのヴィコCは90年代に、Bボーイ的なスタイリッシュさとヒップホップ風の振り付けをショーやミュージックビデオに持ち込んだ。ジョエル&ランディのランディ・オルティスは膝を怪我する前のキャリア初期にはポップやロックの動きを曲中に取り入れていたが、ラウはこれが大好きだった。レニー・タバレスやニオ・ガルシアも踊ってはいたが、ラウのようなグローバルなスケールにはいたっていない。

ラウが子供の頃に憧れたチャヤンやリッキー・マーティンといったプエルトリコのポップアーティストも、エネルギッシュなボーイバンド風のダンスをすることで知られている。しかしラウは、アッシャー、ジャスティン・ティンバーレイク、クリス・ブラウンといった英語圏のショウマンたちのエッセンスも取り入れたいと考えた(「ラウはアメリカ文化に超影響を受けています」とディアスは言う)。彼らがやっていることをやりたいという憧れは強烈なもので、ブラウンと仕事をしたことのあるバックダンサーたちのInstagramアカウントまでフォローするほどだった。

そのなかの一人がブルゴスで、鮮烈な印象のこのプエルトリコ人パフォーマーは、さらさらとした赤茶色の髪を背中まで垂らしていた。バヤモンで生まれ、幼少期の一部をフロリダで過ごしたブルゴスは、過去にブラウンのツアーに6回帯同し、以後プエルトリコでダンスのワークショップを開いていた。2018年のワークショップに、ラウがセサミストリートのカウント伯爵が描かれた黒いTシャツを着て現れたときのことを彼は覚えている。「ニューウェイブ風なのにブレイズヘアのやつが入ってきたんです」とブルゴスは回想する。「ヒップでニュースクールでした」。参加者はみなラウのことは知っていたが、特別なスターというわけではなかった。「あのワークショップはクソほどきつかった」とラウは笑いながら言う。

ブルゴスのダンスは、素早く、エネルギッシュで、流動的で、ヒップホップ、ファンク、サルサなどあらゆるものにインスパイアされている。レゲトンの世界から来た人物に振り付けをすることには、当初不安もあった。「レゲトンのリズムは基本全部一緒なんです。踊りたくなるというより、ずっとペレオをしたくなるんです」と言う。しかし、彼はラウが自分を追い込もうとする姿勢に惹かれた。「彼は『ダンスをするんだ』という感じでした」と、ブルゴスは振り返る。「他の人たちと違ったのは自分のやりたいことが明確にわかっているところです。多くの人は、『ああ、これ、そんなにかっこよくないかも』というプレッシャーに負けてしまうんです」。 

しかし、ラウはアッシャーやティンバーレイクのように、生まれながらにしてダンスの才能があったわけではない。ここにも何時間にもわたる地道な努力があった。「彼を落ち着かせて、これが気持ちいいんだ、ステージ上でも気持ちよくないとダメなんだと伝えて、その感覚を作り上げなければなりませんでした。ステージとセックスして気持ちよくならないとダメなんです」と、ブルゴスは言う。いまや、その過激であられもない挑発的な振り付けはライブの売りとなり、そこでファンの絶叫が上がる。ブルゴスの妻でコラボレーション・パートナーのデニス・ユリ・ディスラは、ドン・オマールやダディ・ヤンキーといったアーティストのために10年以上踊っていたが、彼らが、ほとんどが女性ばかりの10から12人ものバックダンサーを従えた「スーパーショー」をよくやっていたと語る。そして、ラウがそれと違っているのは、彼自身が前面に出て、男性も女性もいるダンサーたちと絡み、自分も同じ振り付けで踊るところだと指摘する。「ラウとフェフェのやっていることは、これまでのものとはまったく違います。ダンサーが観客の目に入らないなんてことはありません。そこには常にストーリーがあって、ダンス自体が語りかけてきます」と彼女は説明する。「まるでブロードウェイのショーのように」。

レゲトンのメジャーアーティストが複雑なダンスを踊るのを、マルマやJ・バルヴィン、バッド・バニーのコンサートやミュージックビデオで観ることは決してできない。ダンスは、ラウを規定する個性となった。ブルゴスは、ラウが他のスタイルの動きをまだまだ取り入れようとしているのが分かる。最近ラウが披露した「Desenfocao’」のパフォーマンスで、ブルゴスは、ラウに映画『ジョーカー』のように燃え上がるような演劇的なダンスをするよう勧めた。




アンチ

しかし、ラウのスタイルがこのジャンルに紛れもない新しさを加えた一方で、そのソフトさを批判する声もある。マイアミのサーフサイドにあるフォーシーズンズ・ホテルで、ラウは名が売れることがもたらす複雑さと侵害について語ってくれた。「いまどきのインターネットは有毒です」と彼は言う。「みんな物事をとにかく誇張するし、何につけてもアンチが多い」。懐疑的な意見も落ち着いて受け入れるラウだが、この夏にはレゲトンアーティストのジェイ・コルテスとの確執があった。彼がラウを「ポップスター」呼ばわりし、ダンスを馬鹿にしたのだ。ラウはその軋轢を仄めかしながら「いまはとても落ち着いています。ちょっと前にプエルトリコで少し名が知れているアーティストと一悶着あったんですが」と語った。誰のことかと尋ねると、彼は手を振って否定した。「自分のインタビューに彼の名前を出したくありません。バカげた話ですよ。どうでもいいんです。自分は自分ですし、自分のビジョンを大切にするしかありません」。一方で武闘派の一面も見せる。「基本冷静ですけど、プエルトリコ人ですからナメた真似されたら闘鶏の鶏になります。ビビりませんよ」。

このインタビューの後、クリスマスが迫りつつある頃、ラウはジェイ・コルテスにあてたディストラック「Hunter」をリリースして記念碑的な一年を締めくくった。コルテスはこれに対し、ラウの偽の死亡診断書の画像をツイートし、「虐待者クリス・ブラウン」を支持するラウを罵倒するセリフを含んだ7分の曲「Enterrauw」をリリースした。行きつ戻りつする悶着の最中、コルテスは、流出した「Si Pepe」のリミックスのなかにロザリアに向けた下品なリリックを入れ込んだ。ラウは「JhayConflei」をSoundCloudに投稿し、コルテスのガールフレンド、ミア・カリファのAV女優だった過去について粗野な言及をすることで反撃したが、曲はすぐにサイトから消された。

ダンスが理由で、ラウはクリス・ブラウンととてもよく比較されてきた。「クリス・ブラウンのダンスはクレイジーです。あのレベルにならないといけないので、トレーニングに次ぐトレーニングをしてきました。ようやく自分に自信がもてるようになりました」とラウは言う。それでも彼は、ラテン音楽シーンで折に触れ存在感を示し続けるブラウンのファンであることを公にしつ続けている(クリス・ブラウンはプリンス・ロイスとコラボし、バッド・バニーは2018年の『La Nueva Religion Tour』で彼をステージに上げている)。

Translation by Akira Arisato & Kei Wakabayashi

 
 
 
 

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