レッド・ホット・チリ・ペッパーズの人間性に迫った、2000年の秘蔵インタビュー

2000年11月30日撮影のレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、左からジョン・フルシアンテ(Gt)、フリー(Ba)、チャド・スミス(Dr)、アンソニー・キーディス(Vo) (Photo by KMazur/WireImage/Getty Images)

レッド・ホット・チリ・ペッパーズが、6年ぶり通算12作目のニューアルバム『アンリミテッド・ラヴ』をリリースした。本作の最大のトピックは、10年ぶりにギタリストのジョン・フルシアンテがバンドに戻ったこと。今回、ジョン在籍時のバンドの歩みを振り返るべく、ローリングストーン誌2000年4月27日号のカバーストーリーをお届けする。大ヒットアルバム『Callifornication』を完成させ、孤高のロック道を爆走するスーパーバンド。華やかな成功の裏に隠された素顔を伝える、貴重なテキストとなっている。

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22年前、プラチナアルバムもワールドツアーも、ドラッグ依存もオーバードーズも、チリとホットとペッパーとレッドという4つの単語を組み合わせたバンド名も存在していなかった頃から変わらないもの、それは友情だ。社交的でカリスマ的存在のアンソニー・キーディスと、背が低くシャイなフリーことマイケル・バルザリーという、ロサンゼルスのフェアファックス高校に通っていた15歳の少年2人は固い絆で結ばれていた。キーディスが登校しなかった日は、フリーは校庭を1人でうろついていたという。「グラウンドを延々とグルグル歩いてた」と彼は話す。「独りぼっちでいるところを誰にも見られたくなかったんだ」

マンモス・マウンテンでのスキー旅行に向かう途中、2人ともバスの中でキマっていた時に、キーディスは自分を生存者と表現した。「飛行機が墜落しても、俺は生き残るタイプだ」

「マジ?」。フリーはそう言って、再びジョイントを口に運んだ。

実際に命の危機を幾度となく経験してきた現在37歳(※2000年当時)のキーディスは、ティーンエイジャーの戯言に過ぎなかったその発言についてこう語る。「そういう思いは少しも変わっちゃいない。刑務所にいようがリハビリ施設にいようが、どっかで野垂れ死にかけていようが、『お前はこんなところでくたばったりしない』って声が俺の内側から聞こえてくるんだ。それも考えものだけどね、恐れ知らずで何にでも手を出そうとするからさ」

これまでに7枚のアルバムをリリースし、この世界で17年間サヴァイブしてきたレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ヤワなバンドを3つ解散させるほどの危機とメンバーチェンジを乗り越えてきた。最新作『Callifornication』はトリプルプラチナを記録しただけでなく、バンド史上最も一貫性のあるレコードだ。2000年にこのバンドのメンバーであること、それは劇的に増した表現力をもって誰よりもアッパーなパーティ・ファンクを鳴らすことを意味する。ありそうにもないことだが、常に半分裸だったガキ大将が、やはり半分裸の大御所へと成長したことを意味している。一方の手に悲しみを、もう一方の手に無邪気さを抱えて邁進していくことを意味する。そして、幾度となくメンバー同士の友情を強調している一方で、私生活ではほとんど交流がないという事実を認めることを意味している。

筆者が取材でロサンゼルスを訪れるにあたって、フロントマンのキーディス、ベーシストのフリー、ギタリストのジョン・フルシアンテ、ドラマーのチャド・スミスの4人は、筆者が同席できるグループアクティビティについて提案する。リハーサルの予定はなく、フルシアンテがスポーツ嫌いだという理由でレイカーズの試合観戦は却下された。ツアー先でオフの日に彼らが何をしているのか、筆者はふと訊いてみた。

メンバー全員が笑い声を上げる。「俺はホテルの部屋で瞑想をして、チャドはストリップクラブで酔っ払って、ジョンはヨガをやってギターを弾いてる。アンソニーは何をやってるのか見当もつかないよ」

互いに干渉しないことを学んだと?

「そうじゃない」とフリーは言う。「今でもお互いに干渉するよ。『ちょっかい出してゴメンな』って断りを入れるけどね」

Translated by Masaaki Yoshida

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