レッド・ホット・チリ・ペッパーズの人間性に迫った、2000年の秘蔵インタビュー

ギタリストの交代劇を経て

レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、ギタリストの交代劇をこれまでに7回経験している。しかし、複数のアルバムを制作したのは現在のラインナップのみだ。初代ギタリストのヒレル・スロヴァクは、1988年にヘロインのオーヴァードーズで逝去した。その後バンドに加入した当時18歳でバンドのファンだったフルシアンテは、1989年作『Mother’s Milk』と、1991年発表の出世作『Blood Sugar Sex Magic』でギターを弾いているが、彼は1992年に突如バンドを脱退し、同年夏のLollapaloozaツアーではアリク・マーシャル(現在はメイシー・グレイのバンドに在籍)が代役を務めた。ジェシー・トバイアスの在籍期間は牛乳1ガロンの賞味期限と大差なかった。ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロは1996年作『One Hot Minute』に参加したが1998年に脱退し、現在は新たに結成したバンドSpreadのアルバム制作を進めている。

ツアーに出る時、バンドは『One Hot Minute』の曲を一切演奏しない。ペッパーズが即興を好むのに対し、ナヴァロは複数のトラックを録音してから繋ぎ合わせるという異なるアプローチを実践していたことが根本的な問題となっているようだ。フルシアンテは『One Hot Minute』を聴いたことがないという。「聴くべき理由に説得力を感じたことがないから」と彼は話す。

1992年にバンドを脱退した後、フルシアンテは深刻なヘロイン依存によって死の淵を彷徨ったが、1998年の1月に治療のために入院する。翌年の3月、フリーは彼にバンドへの再加入を打診した。

フルシアンテとの最初のリハーサルは、キーディスにとって『Californication』をめぐる一連の出来事のハイライトだという。「ジョンはエキサイトすると、80億ボルトの発電機みたいになるんだよ。何もかもをなぎ倒してて、クリスマスツリーを飾ろうとする小さな子供みたいにカオスでさ。彼が最初のコードを鳴らした瞬間、欠けていたパズルのピースが見つかった気がした。このメンバーによるこのバランス感、俺がずっと求めていたのはこれだって確信したんだ」

筆者はモロッコ料理のレストランでのディナーに同席し、フィーズを着用したウェイターが運んでくる料理とベリーダンスを堪能した。キーディスは体調不良で顔がバスケットボールくらいの大きさにまで膨れ上がっているという理由で欠席していたが、他の3人はその点についてとことん馬鹿にしていた。

「ここには母さんと一緒に来たことがあるんだ」とフリーは話す。「たらふく食べて、ワインを7杯飲んだ。当時はバスケに夢中で毎晩やってたから、腹一杯で酔ってたけど構わずプレーしたら、コートで思いっきり吐いちゃってさ」

フルシアンテ:確か前はアシッドをやってからコートに行って……、

フリー:アシッドじゃなくてエクスタシーだ。一晩中目がギンギンでさ、朝6時頃に陽が昇るとすぐコートに行った。面白いほどシュートが決まったよ。

ーメンバーの中ではあなたが一番上手ですか?

スミス:(背筋を伸ばして立派な体格を強調しながら)俺の方が上手い。でもフリーはすばしっこいんだ。2 on 2で俺らに勝てるバンドはいないだろうね。いるとしたら……(じっくりと時間をかけて考えてから)マスター・Pだな。

フリー:(頷きながら)彼には敵わないな。

ーアンソニーの腕前は?

フリー:彼には完全にしてやられたことがあるよ。

スミス:あいつはワイルドだからな。ディフェンスをやらせると、濡れた雑巾みたいに体に張りついてくる。(両手を激しく振り回しながら動物のような雄叫びを上げて)こんな感じでさ。

フルシアンテは一足先に退席した。彼は現在3枚目のソロアルバムを制作中で、マスタリングのことが気になりすぎて会話にまるで集中できないのだという。スミスとフリーはお互いの子供のことや、ニルヴァーナとの南米ツアーの思い出などについて楽しそうに語り合っていた。フリーは最近、海で泳いだ後にバスに乗ってフォクシー・ブラウンとセックスする夢を見たというが、彼女にそれほど魅力を感じたことはないと話す。

スミス:フォクシー・ブラウンはえげつないって言ってなかったか?

「俺が好きなのはリル・キムだ」とフリーは強調する。「彼女とディナーデートしたいな」

デザートとベリーダンスを堪能した後、フリーは駐車場で少し肌寒い春の夜風に当たりながら雑談をしていた。全部のパネルの色が異なるエレガントなメルセデスのことを、彼は「ピエロ・カー」と呼んでいる。「すごくクールな芸術品だと思った」と彼は話していたが、最近は考え直しつつあるという。現在11歳の娘のクララは、以前はその車のことを気に入っていたものの、最近では学校への送り迎えの際には1ブロック前で下ろしてほしいと頼むようになったらしい。

Translated by Masaaki Yoshida

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