レッド・ホット・チリ・ペッパーズの人間性に迫った、2000年の秘蔵インタビュー

アンソニー・キーディスの告白

アンソニー・キーディスは、ハリウッドのSunset Boulevardから近いマンションに住んでいる。筆者が訪ねた時、彼とバンドのツアーマネージャーは控えている全米ツアーの行程表を作っているところだった。彼らは昨年の大半を海外ツアーに費やし、先日日本とオーストラリアでの公演を終えて帰国したばかりだ。今年の夏は国内の主要都市を回る予定だが、その前にテネシー州のチャタヌーガなど、ブルーのChevyのヴァンで移動していた頃以来訪れていない小さな町でいくつかショーをすることになっている。キーディスは地域のカラーが「発泡スチロールみたいに均一化されてないところ」とのつながりを絶ちたくないのだという。彼は地図を脇に抱えてソファに腰かけ、指を舐めてからページを捲り、ペンシルバニア州立大学での公演後の宿泊先の目処をつけようとしている。「フィラデルフィアまで199マイル? じゃあピッツバーグで一泊してからロアノークに行こう」

マネージャーとのプランニングを終えると、キーディスは立ち上がった。今日はショーツに赤と黒のストライプのセーターという出立ちだ。「何か飲むかい?」と彼は訊く。「炭酸系? 氷は入れる?」。その全てにイエスと答えると、ツアーマネージャーは辞去し、キーディスはキッチンに向かった。ステージで暴れ回る姿とは対照的に、自宅での彼は落ち着いていて行動に無駄がなく、A地点からB地点に効率よく移動する方法を40年近くかけて学んできたかのようだ。

彼の自宅は綺麗だが、そのパーソナリティが感じられるようなものは見当たらない。「そのつもりじゃなかったのに、前の家を売っちゃってさ」と彼は話す。「数年前、どうにも気分が冴えなくて、いろいろ白紙に戻したくなって」。彼は家を売りに出したが、買い手がつくまでに1年くらいはかかるだろうと見込んでいた。しかしわずか1週間後、その家は売れてしまう。キーディスが旅行から帰ってくると、彼の荷物は全て倉庫に移動させられており、以降彼が転々とする間そこに保管されることになった。

彼の自宅には、ブロンドのショートヘアでキャンディピンクのタイトなシャツを着た長身の女性がいる。ヨアンナというその女性は、過去18カ月間キーディスと交際している。筆者たちが話している間、彼女は寝室で電話をかけていた。彼女のこと、そして2人の出会いについて話すキーディスは嬉しそうだ。Balthazarというニューヨークのヒップなレストランで働いていた彼女に、キーディスは一目惚れしたという。1年目は遠距離恋愛だったが、現在は同居している。

キーディス、スミス、フリーの3人は全員37歳で、それぞれの誕生日は2週間も離れていない。スミスとフリーにはもう子供がいるが、キーディスに家庭を築く意思はあるのだろうか?

彼は一呼吸おいてこう言った。「イエスでありノー、ってところかな。子供は大好きだから、常に心の片隅で意識してるよ。でも、怖くもあるんだ。俺はずっと気ままに生きてきたから。責任を負うことで、突如として逃げ隠れできない状況になるのが怖いんだよ。パートナーっていう関係にだって責任は伴うけど、そこには退路が用意されてる。飛行機から飛び降りるとしても、俺はパラシュートを巧みに操れるしね」

ツアーの合間に、彼はバリやハワイのビーチでヨアンナとのデートを重ねてきた。「俺はサーフィンは下手なんだ」。彼は笑ってそう話す。ランニングやマウンテンバイクでのトレイルも積極的にこなしているが、水のある場所を好む彼にとっては泳ぐことに勝る運動はないという。

話題は彼の髪型にも及んだ。彼が長い黒髪を振り回す姿は、長い間バンドのトレードマークの1つとなっていた。しかし、1998年以降はブロンドのショートヘアを維持している。髪を切って以来女性からの好感度が上がったというが、以前は「あまり近づきたくない変人のヒッピー」だと思われていたらしい。

彼が髪を切ったのには、何かきっかけがあったのだろうか? キーディスはその質問への回答について熟考している。「当時は特に理由はないと思ってたけど、あの頃は大きな変化を経験していたと思う。クリーンになろうと決めたんだ。俺にとってもバンドにとっても、新たなチャプターの始まりだった」。愉快とは言えないトピックで発言を締め括る時、それに意識を向ける時間が過ぎたことに安堵するかのように、彼は中途半端な笑顔を浮かべる。

「俺は自分のことを分析するのがマジで下手なんだ」。彼は申し訳なさそうにそう話す。「自分自身と真剣に向き合って、どういう理由と経緯で今があるのかってことを、じっくりと考えたことがない」

スロヴァクと同じように、キーディスは80年代にヘロイン依存を経験している。その深刻化を理由に、彼は1986年に1カ月の間バンドを追放されていた。スロヴァクの逝去を機に一度は依存症を克服したものの、キーディスは以降も度々ヘロインに手を出している。至近では1997年にバイク事故を起こした際に、処方された痛み止めの服用がきっかけとなってヘロインに手を染めた。現在はクリーンだと話す彼に、依存の克服に努めた過去の経験が生かされていると思うかと訊ねてみる。

彼はため息をついた。「筋の通った答えを期待されているのはわかるよ。俺は薬物依存に長く悩まされてきたし、その記憶は俺の体の全細胞に刻み込まれてると思う。ドラッグから何もポジティブなものを得られなくなったのは、もう何年も前のことだよ。だからこそ、クリーンでいられる日々を当たり前だと思わないようにしている。それが素晴らしいことだと知ってるからね」

自身のことを語る時、キーディスは凡庸な表現を使いがちだ。ヘロイン依存と格闘した日々について語る場合も、彼の言葉からは苦難や痛み、心の闇は伝わってこない。常に万事順調だと言わんばかりの彼の表情に、胡散臭さを感じ取る人もいるに違いない。だが彼は単に、こうありたいと願う自分の姿について語ろうとしているのだろう。月日を重ねるごとに、彼はその理想像に近づいている。

Translated by Masaaki Yoshida

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