レッド・ホット・チリ・ペッパーズの人間性に迫った、2000年の秘蔵インタビュー

ジョン・フルシアンテの「傷」

フルシアンテもハリウッドヒルズに住んでおり、スミスの自宅から10分ほどのところにある。2部屋と寝室代わりのロフトだけという控えめな造りで、持ち家ではなく借家だ。リビングは極端に物が少なく、あるのはテレビとアンディー・ウォーホルの映画のポスター、そして隅に隠すように置いてあるマルセル・デュシャンのMuseum in a Boxのオリジナルだけだ。フルシアンテは時間の大半を、膨大な数のレコードがあるもうひとつの部屋でギターを弾きながら過ごしている。

以前、彼はもっと大きな家を所有していた。「火事で燃えたんだ。建て直してからまた入居したんだけど、金が払えなくて結局追い出された。僕の弁護士が家を取り戻すための金を何とか用意してくれたんだけど、まさにその日に家が売れちゃってさ。でもあまり気にしなかった。手元に残った5万ドルでヘロインをやろうと思ったから」。税金面の理由で、マネージメントは今彼に自宅の購入を勧めているが、彼は今の家の小さな2部屋が気に入っているという。必要なものは全て揃っており、室温を管理しやすいからだ。

スラックスを腰履きしたまま家の中を歩き回る彼は、進行中の実験のことが気になって仕方ない科学者のようだ。ゆっくりモゴモゴと話し、頻繁に沈黙を挟んだり前言を撤回する彼は、少なくとも文章という形では自分の考えを他人に伝えることに慣れていないのだろう。彼は1日のうちの何時間も、音楽部屋でギターを弾いて過ごしている。それは彼の思考が最もピュアな形で解放される時間だ。『Californication』のレコーディングを進めていた頃、彼は一日中バンドのメンバーと音を出していたが、自宅に帰ってからも1人でギターを弾いていた。

ペッパーズの一員として、以前と現在でどのような違いを感じているかと訊くと、フルシアンテは18歳でツアーに出たことで、若者を惑わすあらゆるものに曝されたと話す。「僕はその特権を思い切り濫用していた」と彼は話す。「でも20歳になる頃には、ただパーティして女の子を取っ替え引っ替えするんじゃなく、そういう機会をアーティストとしての自己表現の場だと捉えるようになった。バランスを取るために、僕は極端に控えめで、露骨なアンチロックスターの態度をとるようになった」。極めて独善的になっていた彼は、バンドにいながらアーティストであり続けることがもはや不可能だと考えるようになり、脱退を決意する。

不幸にも、彼はアーティストとして退行することになり、時間の大半をヘロインの摂取に費やすようになる。

現在、フルシアンテの両腕には無数の腫れたような傷があり、それらは重度の火傷の痕にように見える。彼は投与の方法について、正しく理解していない人々から教わったという。皮膚が腫れるようになってからも、彼は方法を改めようとはしなかった。「今後どうなったって構わないと思ってた。自分はもうすぐ死ぬといつも思ってたし」

フルシアンテは自分がヘロインを絶つことはできないだろうと考えていた。「ジャンキーだった頃は『クリーンになんてなれるわけがない。何をしていても、クスリをやってる時の状態と比較してしまうんだから』って感じだった。ドラッグ以上に神経を研ぎ澄ませてくれるものはないと思ってたから。ドラッグをやってる時は、あらゆるものが最高に感じられたけど、音楽でそれを再現しようと努めることで、あの感覚を求める理由を正当化しようとしてた」

彼は傷だらけの腕を恥じてはおらず、最近ではペッパーズのお約束であるステージ上でシャツを脱ぐことも厭わなくなった。「傷を負う前の姿に戻りたいなんて思わない」と彼は話す。「19歳の頃は尖っているふりをしていたけど、内面は脆かった。自分のことを誇りに思えなかったんだ。でも今は違う」

フルシアンテは友人たちを自宅のリビングに招き、製作中のソロアルバムの曲の大半を披露していた。「数年前の僕は、誰かを悲しませることしかできなかった。それだけが僕の才能だった。だからこそ、座ってギターを弾きながら歌うことで誰かをいい気分にさせることが、今の僕にはこの上ない喜びなんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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