WONK、ロバート・グラスパーという「青春」を振り返る

WONK(Photo by Chiemi Kitahara)

 
5月14・15日に開催される「LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL」で、ロバート・グラスパーと同じ15日の出演が決まっているWONK。ジャズとヒップホップを背景に持ちつつ、ジャンル横断的で「エクスペリメント」なその音楽に対する姿勢は、間違いなくグラスパーと共振する部分がある。それもそのはず、彼らは2012年に発表された『Black Radio』の直撃世代で、今の日本のバンドシーンでは同じようにグラスパーからの影響を受け取った世代が多数活躍している。『Black Radio Ⅲ』が発表されたこのタイミングで、長塚健斗(Vo)、井上幹(Ba)、江﨑文武(Key)、荒田洸(Dr)の4人にグラスパーについて語り合ってもらった。

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4人とグラスパーの出会い
音楽の現場にもたらした影響

―みなさんそれぞれがどのようにグラスパーに出会い、どんな部分に惹かれたのかをお伺いしたいです。

荒田:最初の出会いは『Double Booked』(2009年)ですね。でも、どう出会ったんだっけな……。

江﨑:横入りして申し訳ないんだけど、当時は高校生だから、クラスの友達だけだとグラスパーに出会わなくない?

荒田:一人そういう話ができる友達がいたんだけど……でも、そいつから教わったかは定かじゃないです。それから大学に入って、ビートを作るようになって、 J・ディラとかを掘り進めていって、それくらいのタイミングで『Black Radio』が出たのかな。


荒田洸(Photo by Chiemi Kitahara)

―入口は『Double Booked』だったんですね。

荒田:僕はグラスパーの一番の名盤は『Black Radio』じゃなくて『Double Booked』だっていう派閥なので(笑)。あれはマジすげえなと思いました。

―どんなポイントが大きかったですか?

荒田:(前半6曲はジャズ、後半6曲はヒップホップ寄りの楽曲を収録した)コンセプトも面白いし、クリス・デイヴのドラムが意味わからなくて衝撃で。新しすぎだろうって。エリカ・バドゥとかの流れも汲み取られてるんだけど、それが上手い具合にジャズの中に入っていて、その塩梅もいいし、ホントにすごいなって。


グラスパー、クリス・デイヴ、デリック・ホッジによる2008年の演奏

―『Double Booked』の後半があったからこそ、その後のエクスペリメントの活動〜『Black Radio』に繋がったわけで、間違いなく重要作ですよね。江﨑さんはいかがですか?

江﨑:僕は『In My Element』(2007年)くらいで知りました。中学生のときにジャズバンドをやってて、そのときAnswer to Remember(石若駿が率いるプロジェクト)にも参加しているピアニストの海堀弘太とメル友だったんですよ。

―メル友(笑)。時代を感じますね。

江﨑:SNSはまだなくて、YouTubeが出始めたのが中1の頃なんですけど、僕はその頃から演奏動画をアップしていて。それを見た海堀くんからメールが来て、情報をやり取りするようになったんです。その中で、大阪で同世代の面白いジャムシーンが形成されてると教えてもらって、そこには(石若)駿だったり、早川唯雅くん(サックス奏者、Seihoの弟)とかもいて、そこで『In My Element』がすごい話題になってるって聞いたんですよね。僕はずっと地元の九州にいて、ジャズバーに行っても基本ハードバップしか流れてなくて、新しい音楽に出会う機会がほとんどなかったんですけど、その界隈から海堀くんを通じて情報を又聞きして、それで聴いたのが最初でした。で、東京藝大進学にあたって上京をして、早稲田のジャズ研に入ったら、東京の同世代はみんなグラスパーを当然のように知ってて、大学2年で『Black Radio』が出たときもみんな聴いてて、グラスパーっぽいボイシングを遊びでやったりしてました。


江﨑文武(左から3番目:Photo by Chiemi Kitahara)

―ジャズ研の音楽仲間の間では、すでに教科書みたいなものになっていたと。

江﨑:そうですね。しかも、早稲田のジャズ研は部室をR&B、ソウル、ファンク、中南米の音楽をやるようなサークルと一緒に使ってて、そういう人たちとの架け橋にもなっていたというか。ジャズ研はテーマだけ使って、自分たちでいろいろアドリブしながらカバーするけど、同じ部室を使ってる他の人たちは完コピしたりして、「そっちもグラスパーやってんの?」みたいな。

―面白いですね。荒田さんも早稲田のジャズ研に出入りしていたそうですが、当時のグラスパーにまつわる思い出ってありますか?

荒田:ジャズ研とは別に、(井上)幹さんとは慶応の「クロスオーバー研究会」で一緒で。そこはドラムで言うと「いかに何回もキメを決めるか」みたいなサークルだったんですけど(笑)、その中でストイックにブラックミュージックを攻めてる先輩がいて、それが井上幹だったんです。それで僕もJ・ディラとかを研究して、いろいろカバーをするようになって。

江﨑:早稲田のジャズ研に荒田が初めて来たその日に、ジャズ研内でのあだ名が「慶応のクリス・デイヴ」になってましたからね。

―あははははは。

江﨑:ジャズ研って、基本的にはナードのたまり場なんですよ。で、荒田は同い年だけど学年は一個下で、僕が2年のときに荒田が1年で入ってきたんですけど、ドアをガシャって開けたら、キャップを斜めに被って、ジャラジャラした金属のネックレスをつけていて、部室に入るといきなりスネアの音を変え始めて。ジャズ研のセッションで普通音作りはやらないんですけど、荒田はめちゃめちゃ作ってて。本かなんかを(スネアに)置いてた気がするんだよね。

荒田:よく覚えてるね(笑)。

江﨑:「ただのジャムなのに、めちゃめちゃミュートしたりするやん!」って(笑)。そのセッションでは「Softly, As in a Morning Sunrise」(1928年に書かれたジャズ・スタンダード)を演奏したんですけど、あの曲をグラスパー風にやるのが流行ってたんです。そのときにジャズ研のみんなが「何だあいつ? ジャズ研で見たことないタイプのドラマーだ」となって。


井上幹(Photo by Chiemi Kitahara)

―それで「慶応のクリス・デイヴ」を襲名したと。井上さんはいつグラスパーと出会ったのでしょうか?

井上:大学1年のときに出会った先輩が、プロもアマも来るようなジャムセッションに連れて行ってくれて。そこでみんなが「Festival」(『Double Booked』収録)を演奏しだして、「こんなの無理!」ってなったのが最初です。それまでもディアンジェロとかエリカ・バドゥは大ファンで、QティップとかATCQ(ア・トライブ・コールド・クエスト)もめっちゃ好きだったんですけど、自分の楽器的側面と、ヒップホップとかソウルミュージックを結び付けて聴いたことがなくて、自分がやるモチベーションでヒップホップを聴いてはいなかったんです。



―でも、そのジャムセッションでプレイヤーとしての自分と結びついたと。

井上:ジャムセッション界隈では、「NYから帰ってきた人が偉い」みたいな空気があって(笑)。そういう人はすごく物知りで、「NYではこういうアレンジが主流で……」みたいな感じで、日本のセッション界隈に教えてくれてたんですよね。ジャズのセッションだとどうアレンジするかはその場の空気次第だけど、クロスオーバーな感じのジャムでは本場のアレンジを再現するみたいな感じ。そういう経験を通じて、自分がもともと好きだったQティップなどの音楽と、自分のベース演奏が結びついて、もっとこういうことをやりたいと思って。でも、まだ大学ではそういうのをやろうとしてる人は少なかった。

江﨑:僕も(グラスパーの)完コピは、幹さんや荒田と出会ってから初めてやりました。

井上:サークルではスクエアな演奏のほうが盛り上がるなか(笑)、僕は一人でいろいろ違うことをやってたんだけど、4年生になったときに荒田が入ってきて。「こいつだ!」と思いました。当時は楽器奏者とヒップホップってなかなか結び付かなかったんですよね。「ケンドリック・ラマーの曲でベース弾いてるの誰?」みたいなのって、一昔前だと話題にならなかったと思う。それが今や当たり前になっているのは、グラスパーみたいな存在が現れたことがすごく大きかったなって。

江﨑:グラスパーより前だと、(1993年にアルバムデビューした)ザ・ルーツも生演奏でヒップホップをやってたわけじゃないですか。あれを見て楽器でやりたいとは思わなかったんですか?

井上:ザ・ルーツはそんなにモダンじゃなかったっていうか……僕のなかでは ディアンジェロが率いるザ・ヴァンガードとかに近くて、グルーヴを持ったバンドというか。グラスパーみたいに、「ここのコード進行が短三度上がってモダン」みたいな感じじゃなくて。

江﨑:確かになあ。グラスパーの場合は、さっきのみんなで「Festival」をやるみたいな、ジャムセッションで使ってもいい余白みたいなものがあるかもしれないですね。


長塚健斗(Photo by Chiemi Kitahara)

―長塚さんはどうでしょう?

長塚 僕はもともと、ジャズ・スタンダードのカバーをするおっちゃんたちのバンドで歌ってきた時間が長くて。大学生のとき荒田や井上と知り合い、ディアンジェロの『Brown Sugar』とか、あの辺のカバーをいろいろやってたんです。僕はその頃にブラックっぽい音に出会い、のめり込んで行って、その流れでグラスパーとも出会いました。レイラ・ハサウェイとか、グサッと刺さるシンガーとたくさんコラボをしていて、それがすごく魅力的でしたね。



―歌い手にとっても、グラスパーの音楽は惹かれるものがあった。

長塚 そうですね。グラスパー周りのシーンでいうと、最初はまずホセ・ジェイムズにどハマりして。彼のアルバム 『No Beginning No End』にグラスパーが参加してたり、そういうところから僕のなかで繋がっていきました。



江﨑:最初に長塚さんの情報を荒田から聞いたときは、「見た目がいい感じで、声の感じはホセ・ジェイムズみたいな人がいるんだよね」って(笑)。まあ、僕らの同世代は間違いなくみんなグラスパーからメチャクチャ影響を受けてます。「青春だなあ」って感じがしますね。

 
 
 
 

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