音楽本特集第一弾、朝妻一郎が語る音楽にまつわる権利と日本のポピュラー音楽史



田家:フォークルの2作目に出る予定だった「イムジン河」が中止になって、代わりに発売された曲です。この曲を選ばれております。

朝妻:「帰って来たヨッパライ」は契約したけど、既にできていた音源だった。初めて自分がスタジオに入って、フォークルと一緒にレコーディングした曲がこれだったわけです。

田家:スタジオに入った最初の曲ですか!

朝妻:そうですね。ディレクターとしてやった曲です。

田家:『高鳴る心の歌』は本当にいろいろなことが勉強になりまして。フォークルの章で原盤権と録音契約の違いをお書きになっている。こういう権利があるんだと思いました。

朝妻:著作権と録音、原盤権ね。

田家:やっぱり違うんですね。

朝妻:著作権というのは楽曲の作詞作曲者の持っている権利で、原盤権というのはレコード制作者が持っている権利です。

田家:その両方を押さえてなかったということで、朝妻さんが怒られたと。

朝妻:たまたま最初のアルバムはパシフィック音楽出版で契約することができたんですけど。「「帰って来たヨッパライ」の次のレコードはどうするんだ」って。で、高嶋さんと一緒に大阪へ行って、あらためてフォークルと録音契約をして原盤の権利もうちが取れるようになったんです。最初の「帰って来たヨッパライ」が入っているアルバム以降の契約をしたんですよ。

田家:著作権、原盤権、録音権。この本の中ではしきりに何度も登場して、そういうことなのかと教えてくれる本でもあります。そもそもの洋楽少年の始まり、高校1年生のときにポール・アンカのファンクラブ会長になったんですよね?

朝妻:はい。それまでのポール・アンカクラブの会長だった人は、「ポール・アンカが帰ったところでもう私の役目は終わりましたので」ってお辞めになって。そしたら「お前アメリカのヒット曲に詳しいんだし、会長もやってくれよ」って任されたわけです。任されて少ししているうちに、「いろいろ洋楽に詳しいから高崎一郎に紹介してあげるよ」って言って、高崎さんを紹介してくれた。高崎さんが担当していた電話リクエスト番組の選曲を任されることになったんですね。

田家:ニッポン放送が出版社を作って、それがパシフィック音楽出版でその第一号社員で。そのときに音楽出版ってどんな仕事だと思われていたんですか?

朝妻:音楽出版が作家と契約して曲の権利を持つことは知っていた。でも実際にどういうことをやるのか具体的には分からなかった。知っていたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンとか、ニール・セダカとハワード・グリーンフィールドとか、バリー・マンとかシンシア・ワイルがアルドンという出版社の所属で、アルドンっていう出版社はいい作家をいっぱい抱えていてヒット曲をいっぱい出しているなとか。この作家の曲はここの出版社が管理しているんだということで。

田家:それはどこでお調べになったんですか?

朝妻:『ソングヒッツ』とか『ヒットパレーダー』というアメリカの雑誌があって、それをイエナっていう銀座にあった洋書店で買って見ていたんです。それは最近のヒット曲の歌詞と、歌詞の後に作詞作曲名前と©なんとかで音楽出版社の名前が書いてあったり。新人歌手の紹介みたいなところが何ページかあるファン雑誌だったんですけどね。

田家:いろいろな人生の別れ道になる1つの例かもしれませんが、朝妻さんが選ばれた今日の2曲目は1969年2月発売、モコ・ビーバー・オリーブで「わすれたいのに」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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