音楽本特集第一弾、朝妻一郎が語る音楽にまつわる権利と日本のポピュラー音楽史

あの素晴しい愛をもう一度 / 加藤和彦と北山修

田家: 1971年に発売になった名曲であります。

朝妻:あるときに加藤くんか北山くんかちょっと忘れたけど、実はシモンズに書いたんだけど締切に間に合わなくて浮いちゃったんですよと。聴いたらすごくいい曲で、すぐ2人でやろうと。ちょうど北山くんがヨーロッパに行く前にフォークルが1回解散していて、はしだくんはその後も。

田家:シューベルツとクライマックスとか。

朝妻:そう、やってたんで大成功していて一緒に組むのは無理だったので、加藤北山でレコーディングしたんですよね。

田家:本の中にこの曲には大滝さんのアドバイスがあったとお書きになっていましたね。

朝妻:そうそう。この曲というわけではないんだけど、大滝くんといろいろな話をして。「朝妻さん、ヒットで1番重要なのはイントロなんだけど、同じくらい重要なのは転調ですよ」と。大滝くんの転調も三段転調とか派手な転調で有名なんだけども。たしかに転調で曲がすごく活きるわけです。だから、加藤くんにも「加藤くん、ここで転調入れて」って言って(笑)。

田家:加藤さんはさっきお話をされたフォークルで出会われているわけですが、大滝さんもはっぴいえんどの1stアルバムで才能があるなと思われたという。

朝妻:そのときは大滝詠一個人じゃない。はっぴいえんどっていうバンドがすごいと思った。それで『ミュージック・マガジン』のアルバム評で10点満点をつけて。

田家:デビューアルバムで10点をつけられていた。

朝妻:10点つけたのを大滝くんのソロアルバムを出すことになったキングレコードの三浦さんというディレクターが10点をつけるぐらいなら大滝のソロのレコードに対しても理解があるだろうということで、「朝妻さん、今度大滝がソロを出すんですけどぜひパシフィックミュージックでやりませんか?」と。

田家:それはそうでしょうね。で、レコーディングにいろいろ立ち会われたアーティストの中でシュガー・ベイブのレコーディングもニッポン放送で行ったとか。

朝妻:レコーディングというより、オーディションテープで。ちょうど大滝くんがナイアガラ・レーベルの構想があって、デモテープを録りたいんだけどニッポン放送の1スタを貸してもらえないかということで。

田家:これも本で「え、そうだったんだ!」と思ったのですが、ナイアガラ・レーベルがエレックレコードに決まったのは朝妻さんが仲介されていた。

朝妻:この頃、原盤という形がだいぶポピュラーになってきたんだけど、1回契約したらそのレコード会社に原盤はずっと帰属するのが当たり前だった。でも、大滝くんはそうではなくてレコード会社と販売契約を3年とか5年にして契約が切れたら自分のところに全部権利が戻るということにしたいということで、やっぱり既成の大きいレコード会社はそんなのは冗談じゃないと言うので、OKしてくれないわけですよ。

田家:それだったんですか! つまり、大滝さんが自分でレコードを出したいとなったときに、CMソングをレコードにしたいということで、それを理解するレコード会社がなかったからという定説がありますけどそうじゃないんですね。これは今日、1番重要なことかもしれません(笑)。

朝妻:CMのレコードを出すというのは、レコード会社と年間に何枚アルバムを作らなきゃいけないというのがあって、自分の歌うものだけでそんなにいっぱいできるわけないからCMのものもアルバムとして出そうということでやったわけだけど、契約が終わったら権利が帰ってくることをOKさせるかどうかってことがあった。

田家:それを理解して飲むレコード会社がなかった。

朝妻:まあ、理解はしたんだろうけど。

田家:受け入れたのがエレックだけだった。

朝妻:うん。エレックは比較的新しかったので、分かりましたということで。

田家:その間を繋いだのが朝妻一郎さんでありました。

Rolling Stone Japan 編集部

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