音楽本特集第一弾、朝妻一郎が語る音楽にまつわる権利と日本のポピュラー音楽史



田家:これも「あ、そうだったんだ!」と思ったのですが、ロンバケはソニーのディレクターが白川隆三さん。彼を起用したのは朝妻さんの提案だった?

朝妻:その前に山口百恵さんの「ソウルこれっきりですか」という〈これっきり これっきり もうこれっきりですか〉を繋ぎに使って、ヒット曲メドレーを作って。「白川ちゃんこれどう?」ってなったら、「おもしろいですね」ってソニーが宣伝してくれて大ヒットになった。そのときに白川さんって社内を動かすのも、ソニーのマーケティングの力もすごいし、ディレクションも優れているなと思っていたので、ちょうど大滝くんがJ.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」を持って「こういう曲でアルバムを作りたいんですよ」って言ったときにお願いしたんです。実はその前に大滝くんは川端さんというソニーのディレクターとロンバケの何曲かのレコーディングが進んでいたらしいんだよね。『レコード・コレクターズ』でロンバケの特集をやっているんだけど、読んでいて初めて「え、そうだったんだ!」って気がついて。で、白川さんに電話して、「あれ本当の話なの?」って言ったら、「そうなんだよ。上司からパシフィックで白川でって言ってるから途中だけどこれから担当しろよ」って言われて、川端くんから引き継いだらしい。

田家:あ、そうなんですか! まだまだ知らない話がたくさんある音楽史でもあります。本の中でアメリカの音楽ビジネスの歴史、仕組みも丁寧にお書きになっていて。日本よりもアメリカの方が音楽の権利関係の先進国だと分かりました。

朝妻:ともかく基本的にアメリカにしろ、ヨーロッパにしろ音楽出版社というのが音楽ビシネスの1番最初の存在なんです。音楽ビジネスを確立させたのは音楽出版社。レコード会社の前に音楽出版社が登場しているわけです。その後にレコード会社、映画会社が出てきているわけですけど。

田家:もともと楽譜ですもんね。

朝妻:そうです。日本の場合はまずレコード会社ができて、音楽出版社がなかったので、レコード会社は仕方がなくて自分のところのアーティストに歌わせる曲を作るために作詞作曲家を専属作家として給料払って曲を書いてもらって、アーティストに歌ってもらう形で。音楽出版社の誕生が日本の場合はレコード会社なんかよりずっと遅いんですよね。

田家:なるほど。それが日本の音楽業界の1つの歪みかもしれない。

朝妻:歪みって言っていいのか分からないけども。

田家:つまりレコード会社が作家や歌手を全部抱え込んじゃっていたことが発展を遅らせたということもあるかもしれない。

朝妻:アメリカのASCAPという演奏権利団体の偉い方が1960年くらいに日本に来て、日本には音楽出版社がないと。作詞作曲家も最初に歌ってくれたアーティストの印税だけしか入らないし、ほとんど収入はオリジナルのアーティストのレコードの売上だけになってしまっている。アメリカみたいに、他のアーティストにもどんどんカバーしてもらって、収入を増やすことにしていかないと日本の音楽業界も発展しないよってことをASCAPの人はJASRACの偉い人たちにコンコンと説明して。それが日本に音楽出版社が生まれるきっかけになったんですよね。

田家:今でも昭和30年代ぐらいまでの日本の歌謡曲のヒット曲は全部権利をレコード会社が持っていて、なかなかカバーできないというのがありますもんね。

朝妻:そうなんですよ。レコード会社が持っていて、ちゃんとOK取らなきゃレコーディングできない。でも、なかなかOKも出ない時代が結構長く続いたんですよね。

田家:そういう流れの中で次に登場される作家はテレビの申し子と言っていいかもしれませんが、秋元康さんが作詞をされています。1982年10月発売、稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」。

Rolling Stone Japan 編集部

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