BRAHMAN TOSHI-LOWが語る、己が「変わる」ために選んだ道

BRAHMAN Tsukasa Miyoshi (Showcase)



ライブにおける「視覚的効果」

一そんな曲の発見に加えて、さらに視覚的な効果が入ってきますけど、ビジュアルに関するテーマはあったんですか。

TOSHI-LOW:結局自分たちがグッとくりゃいいんだよ、ってことでしかなかったのかな。映像はある程度任せるし「こういうものがありますよ」って提示されるところから選ぶしかないから。自分が作れるわけじゃないしね。

一完全にお任せして、それを後からジャッジしていく作業?

TOSHI-LOW:その前に、まず曲の持っている意味があるから。お互いのイメージを尊重しあえば変なものにはならなかった。あとは20年前に書いた曲を逐一説明して情報過多にしたくなかった。今この曲を聴いて「僕はこんなイメージを浮かべました」って言われたら「あ、じゃあそれは使って」って言える感じ。「この曲はとにかく映像で作りたい、っていう曲があれば、そういう形で選んでもらっても構わない」とも言ってあったし。

一イメージ映像とスモークで見せる「A WHITE DEEP MORNING」があれば、ものすごく具体的な人物が映る「ナミノウタゲ」もあって。テーマは必ずしもひとつじゃないけど、ストーリー性はありましたね。

TOSHI-LOW:アルバムだって同じ曲じゃないじゃん。いくら時期が同じでも曲調は違うし、歌ってることも違うだろうし。映像も、情報過多になれば飽きるし、ずっと歌詞ばっか出しても「これ、カラオケじゃん」ってことになるでしょ(笑)。よくいるけど、そういうバンド。

一演出って、ひとつ間違えれば興醒めするものになりがちで。たとえばスタジオコーストでトーチが出てきた瞬間はびっくりした。こんな格好いい火の使い方があるのかって。

TOSHI-LOW:うん。前だったら火って一番ダサいと思ってたのね。でも、違う使い方できるんじゃないかなって考えて。そもそもコーストは、会場の真ん中にステージを置くこと自体がいつもと違う使い方だし、さらに変化球を加えることで、ゼップでもない、サンプラザでもない、コーストを作りたかった。だったら演出じゃない、演劇でもいいんじゃないかなと思って。



一どういう違いですか?

TOSHI-LOW:演出っていうのは視覚効果じゃない? でも演劇だったら始まりから終わりまでの物語に必要な道具になる。いきなり目潰し的な炎が出てくるんじゃなくて、たとえば山小屋のシーンだからこの炎が必要、みたいな感覚。それが演劇と演出の違いかな。もっと演劇的でもいいと思った。

一その感覚があるかないかは、とても重要だと思う。

TOSHI-LOW:だから、ほんとに物語性なんだと思う。物語の中にちゃんと入ってるなら、いくら過多でも「もっと来い!」って思えるだろうし。物語もないのにいきなり演出だけ始まっちゃうと、聴いてる音と、見てるもの、その人間が持ってるものが全然結びつかないよね。あとは、落語のマクラみたいなところでどんだけグッと引き込めるかも大事。俺たちはずっと鳴らしてきた曲があるし、見に来る人がそれぞれ曲に対して思ってることもあるだろうし、そこにちゃんと寄り添えば変な演出にはならないと思ってた。だからその匙加減。そこで演出家に頼っちゃうとまた違ってくるしね。

一どこかで見たものになってしまう。

TOSHI-LOW:そう。過去に見たもの。昔見た外タレの「ライブ・イン・ナントカ」みたいな感じになってしまう。そうじゃなくて、自分たちの中にそれを取り込むことが必要で。演出って、自分たちを外から照らしてもらうことじゃないの。あと今回は単純に、自分たちの足枷として、演出がなきゃダメだと思ってた。今までどおりやって俺たちは汗かいて、でもあなたたちは動かずじっと見てくださいねっていう、その釣り合わない条件がすごく嫌だったの。その一択で始まった話だね。

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