プロレス界の超新星、清宮海斗が創る方舟の未来

清宮海斗(Photo by Rolling Stone Japan)

三沢光晴を中心として、2000年に設立されたプロレスリング・ノア。20年を超える団体の歴史を通じ受け継がれる「ノアらしさ」を体現する存在として、デビュー以来大きな期待を集めるのが、デビュー5年目の“超新星”清宮海斗だ。

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武藤敬司や藤田和之、そして船木誠勝といったレジェンドたちが「新しい景色」をみせる現在のノアマットでは後塵を拝する形勢だが、その輝きは決して失われていない。両国国技館でのビッグマッチを控えた“方舟の申し子”は何を思うのか。清宮の言葉から、彼の現在地点、そしてひとつ先に待ち受ける未来を探る。

●デビュー3年目で頂点に立ってしまった方舟のスーパーノヴァ

清宮海斗がプロレスラーになることを決意したのは13歳のときだった。

清宮海斗:小学校の頃にレンタルビデオでプロレスの試合を観たのが、ハマったきっかけだったと思います。GHCヘビー級(プロレスリング・ノアのシングル王座)の初代決定戦で、三沢光晴さんと高山善廣さんの試合でした。互いに何度打ちのめされても立ち上がる姿に、子どもながらに圧倒されてしまって。その三沢さんが事故で亡くなられたのが、僕が13歳のときだったんです。ニュースを知って、まず思ったのが「自分が三沢さんに勇気や力をいただいたように、次は自分が誰かの、いや、ノアの力になりたい」ということでした。

以来、プロレスラーになるためのトレーニングを自己流で続けた。実は、ノアの大先輩である丸藤正道を輩出したレスリングの名門校、埼玉栄高校に合格していたのだが、敢えて公立校へ進学したのだという。

清宮:ノアに入ってプロレスラーになりたいという気持ちは固まっていたんですが、埼玉栄は私立なので学費が高かったんです。親に迷惑をかけてまで、自分の我儘を通そうとは思えなくて。とはいえ、さすがに入門テストを受ける前には何かしておかなきゃと思いキックボクシングのジムに通い始めたんですけど、入門テストの時期を勘違いしていて、結局半年も通えなかったという(笑)。

何気ないエピソードではあるが、このあたりに清宮海斗というプロレスラーの“個性”の一端が垣間見える。ともあれ、格闘技経験はほぼゼロという状態で、清宮はノアの門を叩いた。高校を卒業してすぐ、19歳のときだった。

入門半年後には、早くもデビュー戦。先輩の熊野準に新人らしく逆エビ固めで敗れはしたものの、ファンの印象に残ったのが、エメラルドグリーンのタイツだった。三沢光晴が着用していたコスチュームのキーカラーであるこの色は、言うまでもなくノアの象徴だ。これだけでも清宮に対し、団体がかける期待の大きさが伝わった。

事実、デビューしてから2年弱という速さでカナダへ半年間の“武者修行”に送り込まれる。2018年1月の帰国後には、敗れはしたもののGHCヘビー級王座に挑戦。デビュー2年の若手がノアの頂点に挑むなんて、異例どころの話ではなかった。さらに同年4月には、グローバル・タッグ・リーグ優勝(パートナーは潮崎豪)、11月にはシングルのグローバル・リーグ優勝と、立て続けに結果を出し、12月には杉浦貴が保持していたGHCヘビー級王座を、史上最年少記録で奪取する快挙を成し遂げた。

スーパーノヴァ(超新星)。気が付けば、そんなニックネームが付けられていた。

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