中川五郎が語る、フォーク・ソングとの出会いからコロナ禍までを描いた自叙伝

三十歳の子供 / 中川五郎

田家:中川五郎さん29歳のときの曲ですね。この時期はあらためて今どう思われていますか?

中川:当時『DON’T TRUST OVER THIRTY』という30歳になったら老人だぐらいの極端な考え方をしている人も多くて、僕も今のうちにやりたいことをもっとやりたいなと思いながらも全然できなくて、自分への叱咤激励というかね、お前どうするんだよって気持ちで歌っていたんです。

田家:1978年に『また恋をしてしまったぼく』というアルバムを出して、その後音楽からちょっと離れますね。

中川:1970年代の結構早い頃からアメリカの音楽の原稿とか、レコードの解説とか書く仕事を歌うことと同時進行でやっていて。1980年代に入って『BRUTUS』という当時すごく人気のあった雑誌にフリーで編集の手伝いができるということで、編集部に関わってみたら仕事がすごくおもしろいし、忙しくて歌への気持ちも離れていってしまった。今振り返ってみると、もともとがそういうチャラチャラした人間なので(笑)。

田家:本の6章の章タイトルというのが、「フォークから遠ざかってしまった15年間」ということで今お話になった平凡出版の『BRUTUS』を中心にして、出版社を中心にした生活のことが書かれていて。本の第8章「新たなるプロテスト・ソングへの険しい道」という章タイトルがあって、十数年振りに人前で歌うようになった以降の話が書かれております。1994年、片桐麻美さんに誘われて旭川で歌われたのがきっかけだったとか。

中川:歌うことを辞めていろいろな原稿を書いているときにたまたま片桐麻美さんという旭川出身のミュージシャンとすごく親しくなって、彼女に声をかけてもらいまたやろうという気持ちになりました。90年代半ばにまた歌い始めたときは自分がかつて歌っていたメッセージソングへの反省というか、60年代に自分が熱心にやりすぎていただけに、そうした歌とはちょっと距離を置いちゃうというか、同じようなかたちでは繰り返したくないという気持ちがあって、社会的な歌よりも個人的な歌を歌おうとする気持ちが強かったです。でも世の中がどんどんおかしくなっていって、少しもよくならない。政治のこととか社会のことを歌にして歌いたい気持ちが膨らんできたときに、以前はこういう問題がありますよということで歌を作ろうとしていたんですけど、あらためてプロテスト・ソング、メッセージソングをやろうとしたときは1人の人間から出発するというか、何か行動している人物が何を考えてどういう動きをしているかとか、そういうところから歌が膨らんでいけばいいなと思うようになって。暮らしの中からその人がこういう思いをしていて、こういう動きをしているみたいなことが歌えるといいなと思った。たぶん、もしかしたら聴く人によっては昔歌っているのと同じような歌を歌っているんじゃないかと言われてしまうかもしれないけど、僕の中では同じような戦争反対、差別反対の歌を歌っているとしてもちょっと違う形でできるようになったかななんていうそういう想いはあるんです。

田家:プロテスト・ソングということで本の中で次の曲について、いろいろお書きになっております。2017年1月に発売になったアルバム『どうぞ裸になって下さい』から「一台のリヤカーが立ち向かう」お聴きいただきます。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE