中川五郎が語る、フォーク・ソングとの出会いからコロナ禍までを描いた自叙伝

田家:「J-POP LEGEND FORUM 最新音楽本特集2022」今週はパート2、2週目です。平凡社から発売になった中川五郎さんの本『ぼくが歌う場所 フォーク・ソングを追い求めて50年』をご紹介しました。ゲストは中川五郎さんでした。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。



中川五郎さんはシンガーソングライターであると同時に評論家でもあるわけで、毎日新聞で洋盤の紹介を五郎さんがお書きになって、邦盤の紹介を僕が書いているという関係なので親近感はとてもあります。日本のポップミュージックの中でシリアスなメッセージは敬遠される傾向がずっとありました。そういう堅い話はやめようよとか、それはポップにそぐわないんじゃないの? ということで避けられてきた。そういう中でフォーク・ソングはメジャーな商業的なところに乗らないような歌をずっと歌ってきた流れでもあったんだと思うんです。

オルタナティヴというものはメインで流行っているものとは違う、別の流れという意味もあるわけで日本のポップミュージックのオルタナティヴの源流はフォーク・ソングからずっと繋がっているのではないかと思います。音楽の素養がなくても誰もがギターを持って作る側に回ることができる。事務所とかレコード会社に頼らなくても自分が発信する側に回ることができる、活動することができる。それは60年代の終わりから70年代にかけてのフォークシンガーの人たちが見せてくれたことだと思います。そういういろいろな場面、時代の中での希望というのは誰もが無理だと思うこともひょっとしたらできるのではないかと思わせてくれる。そういうことを言うのだとしたら、フォークシンガーはやっぱり日本の音楽シーンの中の1つの希望だったんだと思います。そうやって始まった流れの中で中川五郎さんは未だにプロテスト・ソングを歌い続けている人として活動されているわけですね。連休の彼のスケジュールを見て驚きました。

コロナもそうですし、ウクライナの戦争が始まってから音楽にはどんな力があるんだろうとか、音楽は何のためにあるんだろうと考えるような場面が増えたりしているなと思ったりしているんですね。特にグラミー賞の授賞式に戦争当事国の大統領がメッセージを送る時代になっているわけですから、やっぱりどこかで今までとは違う音楽の在り方が模索されたり、60年代フォーク・ソングやプロテスト・ソングを歌ってきた人たちが1つの希望になったりする、またそんな場面が来るのかもしれません。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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月 21:00-22:00
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Rolling Stone Japan 編集部

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