サム・ライミ監督が大いに語る、『ドクター・ストレンジMoM』と唯一無二のキャリア

「創作の自由」とMCU伝説

―現段階のお気持ちはいかがですか?

サム・ライミ:絶好調だ。取りかかった時はクランクインの日付が迫っていて、脚本は手つかずの状態だった。私も含め(脚本家の)マイケル・ウォルドロン、(プロデューサーの)リッチー・パーマー、マーベルのチームは、いちからやり直さなくてはならなかった。焦りまくって、パニック状態だった――恐ろしくてたまらなかった。だが、とにかく作業し続けた。コロナでスケジュールが先送りになったのは助かったよ、脚本を作る時間が稼げたからね。どうにか撮影を始めるところまでこぎつけた。脚本はまだ作業中だったが、順調に進んだ。今はもう一安心だ。そういう段階は過ぎたからね。

―『ワンダヴィジョン』はこの映画の後に公開されるはずでしたが、ストーリーや話の流れに一部変更が生じたそうですね。変更によってどんな影響があったんでしょう?

ライミ:『ワンダヴィジョン』がいつ公開予定だったのか、どこを変更したのか、私にはわからない。脚本が半分か3/4ぐらい進んだところで製作中だったこの番組のことを初めて知り、内容をすり合わせる必要があると聞かされた。それでストーリーの流れやキャラクターの成長具合に間違いがないよう、『ワンダヴィジョン』のストーリーもチェックしなくてはならなかった。私自身、『ワンダヴィジョン』を全部見たわけじゃない。映画の筋書きに直接影響すると言われたエピソードの重要な場面しか見ていない。

―マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)ではつねに壮大な計画が動いています。創作面ではどの程度自由にさせてもらえましたか?

ライミ:そうだな……こんなことを言うと矛盾して聞こえるかもしれないが、マーベルからは完全に自由にやらせてもらえた。だが、マーベル伝説には従わなければならない点がたくさんあった。だから完全に自由にやらせてもらいつつ、過去の映画やマーベルの将来の計画によって方向性がきっちり決まっていた。その範囲内では自由にできるが、キャラクターの物語はどの作品とも結びつくように描かなくてはならない。例えば、ドクター・ストレンジはマルチバースについて、『ノー・ウェイ・ホーム』で知りえた以上のことを知っていてはならない。それでいて、知っているはずのことを知らない、ということがあってもいけない。ここまでの流れにすべて支配されていた。

―『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』も、本作の後に公開されるはずだったんですよね?

ライミ:そう、何もかもが行き当たりばったりだった。「今度はこっち、次はこっち」という具合だ。楽しいやりくり作業だったよ。これだけ長い歴史を持つ壮大なマーベル作品に関わった監督や脚本家は、みんなきっとこんな感じだと思う。非常にカオスで、最高で、クリエイティヴだった――「混乱」(mess)という言葉は正しくないから、使いたくない――アイデアが泉のように沸き上がる。そこから最適なものを選んで、すぐに束ねてひとつの世界を織り上げる。実際とてもエキサイティングだったよ。


1990年、『ダークマン』撮影現場のサム・ライミ監督
©Universal/Everett Collection

―観客はこの手のファンタジー超大作にある種の不感症になっていると思いますか――ハードルを上げ続けなくては、と感じることはありますか?

ライミ:どの時代、どの製作者もそれは同じだと思う。(1933年に)『キング・コング』が出た時、心臓発作を起こした映画製作者は大勢いたはずだ。私も『E.T.』のような映画が世に初めて出た時に、「なんてこった、自分はこの業界で何をやってるんだ? こんな傑作、自分にはとても作れない」と思ったものだ。だが映画製作者なら、同時にやる気もかき立てられる。こういうのを目にするのは恐ろしくもあるが、可能であることも教えてくれる。そうやって製作者は新しい技術、新しいアイデアへと目を向けるんだ。つねにそうやってレベルアップしている。

―とはいえ、『死霊のはらわた』の冒頭シーンではあなたの作品の独自性が伺えます。あなたのようなカメラ使いは誰にもできません。あれはどこから思いついたんですか?

ライミ:あれは制約の中で、解決策を模索する中から生まれた。『死霊のはらわた』の時はモンスターを製作する予算がなかった――だから、モンスターの視点で描くしかなかった。その視点にできるだけ奇妙な感じを加えようとした。観客は与えられたものに基づいて、頭の中で勝手にモンスターを思い描くものだ。それで巨大なワイドレンズをカメラに装着して、周辺が歪むようにした。それを棒にくくりつけて、被写体の上下に動かせるようにした――文字通り宙を飛ぶようにね。あるいは自分の手にカメラをテープで巻きつけて、走りながら腕を上下に振りながら、できるだけ滑らかにゆらゆらと動かした。撮影で一番大事な教訓を学んだよ。こちらが観客に提示するよりも、観客自身の想像力のほうがずっと効果的だということだ。しかるべき材料を与えさえすれば、観客が勝手にモンスターを作り上げてくれる。

Translated by Akiko Kato

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