サム・ライミ監督が大いに語る、『ドクター・ストレンジMoM』と唯一無二のキャリア

コーエン兄弟と亡き兄の影響

―『スパイダーマン3』の後は一転して『スペル』(著しく過小評価された2009年のホラー作品)、次いで『オズ はじまりの戦い』(L.フランク・バウム作『オズの魔法使い』の登場人物を題材にしたパロディ)を手がけました。それが2013年――あれから久々の最新作です。この間、引退を考えたことはありましたか?

ライミ:いいや、単に気に入った脚本に巡り合えなかったんだ。長編映画として監督したいと心から思えるものがなかった。長い時間がかかったし、不満だった。私は監督の仕事が大好きなんだ。自分にできるのはこれしかないしね。

―ジョエル&イーサン・コーエン兄弟との友情にはずっと憧れていました。これまで2人からはどんなことを学びましたか?

ライミ:非常にしっかりとした職業倫理観だね。『XYZマーダーズ』などの作品を一緒に作っただけじゃなく、『ダークマン』でアドバイスをもらったり、短編を共同執筆したり、『未来は今』の脚本を一緒に書いたりした。他にもいろんなことをしたが、多分公開されたり出版されたりしたことはないだろう。だが彼らの職業倫理感には舌を巻いたよ。2人ともタイプライターの前に座って、14時間ぐらいぶっ通しで作業するんだ。それから休憩がてらデニーズに行って、戻ったらまた仕事。翌朝も同じだ。コーヒーを1杯飲んで、仕事を始めたらあとはノンストップ。「なんてこった、奴らは恐ろしいほど真剣だ。ひたすら書き続けている」と思った。イーサンとジョエルはしかるべきセリフやアイデアを模索して、何時間も考えに考え抜く。恐れ入って、感服して、おもわず笑ってしまった。何度か2人の力になれた時はとてもうれしかったね。

―実際、コーエン兄弟と『未来は今』の脚本を共同執筆したのは、映画を製作するよりずっと前の80年代ですよね?

ライミ:その通りだ。数年かけて書き上げた。最初にジョエルとイーサンが書き始め、後から私も誘ってくれた。その後2人が他の脚本を手がけることになって、長い間寝かせていた。そしたらある日こう言われた。「サム、撮影するぞ。資金が手に入った。第2撮影班の監督をしたいかい?」「もちろん、すごいじゃないか」 それで2人が考えたちょっとした面白いシーンをたくさん撮影した。第2撮影班の監督は楽しい仕事だ。とくに友達のために働くときはね。大変な仕事は全部2人がやってくれる。

―高層ビルからの落下シーンを監督したのもあなたですか?

ライミ:あのシーンの一部だけ、役者の視点からのショットとかだ。あとはモンタージュをいくつか。たいていはメインキャラクターが出てこないショットだった。まさに私は単なる道具だった。指示された方向にカメラを向けて、こうしろ、ああしろと言われた通りにしただけだ。

―噂では、イーサン・コーエンは映画製作者として引退するかもしれないそうですが、コーエン兄弟の映画がもう見られなくなるなんて信じられますか?

ライミ:とんでもない! まだまだコーエン兄弟の映画は出てくると思う。太陽が昇る限り、新しい映画が出てくるはずだ。私も2人の作品の大ファンなんだ。

―プロの映画監督になりたいと思ったのはいつ頃ですか?

ライミ:高校に入って、ブルース・キャンベルや親友のスコット・スピーゲルとティム・クイルと出会った時だと思う。3人ともスーパー8で映画を作っていた。「やったぞ、彼らは毎週末一緒につるんでる。他に仲間もいる。撮影係がいて、パイを投げる係がいて、パイを顔で受ける係がいる。これだけそろえば十分だ」 1人はガレージセールで手に入れた2着のスーツジャケットなど、衣装をたくさん持っていた。もう1人は三脚を持っていた。「いける。彼らとなら上手くやれる。似たような趣味も持っている」と思った。12歳ぐらいのころから3年間、ずっと1人で映画を作ってきた私にしてみれば、仲間を見つけられたことはものすごく大きな魅力だった。突然、この先もずっとやりたいこととして考えられるようになった。この時点から可能だと思えるようになったんだ。

―コミック色の強い映画を作る以前は、どのぐらいコミックに影響を受けていましたか?

ライミ:コミックはつねに私に大きな影響を与えていた。とくにマーベルやDCの偉大なコミック作家からね。子供のころは毎日のように読んでいた。だから映画のショットを決める時も、私が唯一知っている描き方、つまり自然とコミック風になった。

―『マルチバース・オブ・マッドネス』のような超大作を再び監督するにあたり、趣味で低予算映画を作っていた時代に身に着けた技が今でも役に立っていますか?

ライミ:それほどでもない。というのも、それが私のやり方だからだ。どのショットも、どの瞬間も、「最適なテクニックは何だろう?」と考えている。単に「スケジュールを立てて、クレーンを立てて、ここから先は大丈夫。ベストな選択ではないかもしれないが、今日は5時までにここまで終わらせなくてはならないから、撮影班の勢いをキープしないと。あとは撤収だ」というだけじゃないんだ。

―幼いころにご家族を亡くされていますね。お兄さんの死でどんな影響を受けましたか?

ライミ:兄のサンダーは私にとって大きな存在だった。最初に『スパイダーマン』のコミックを見せてくれたのも兄だった。兄は副業でマジシャンをやっていた。よく子どものパーティでパフォーマンスしていたのを覚えている。私も兄の影響でパフォーマンス欲をかきたてられた。兄からの影響力がとても大きかった。兄は16歳で死んだ。私はまだ10歳だった。もっと知っておけばよかったと思うほど、兄についてあまり知らなかった。だが兄は私にとって最高のお手本だった。

兄がいなくなったことで、前よりもマジックの世界にのめりこんでいった気がする。両親に兄の死の埋め合わせをしたかったんだ。マジックへの情熱は映画に対する情熱とよく似ていた。映画にはまったのはマジックから卒業し始めたころだ。別の形で時間や空間を操り、観客を楽しませ、魅了して、驚かせることができた。だから映画への情熱も、間接的に兄のサンダースの影響を受けていたんだと思う。

―舞台マジシャンとしてもかなりの腕前ですよね?

ライミ:地域のお祭りでよくパフォーマンスした。州レベルじゃなく、地域レベルの祭りだ。子どものパーティでも、23人ぐらいの小さなモンスターの目の前でやった。私がやったのは、イリュージョンの中のマジシャンのレパートリーだ。バルーンアートもやったが、最後のバルーンがなくなる前に店じまいできるよう、必死だった。最後のほうになると、1番目の子供が風船を割ってしまって、もうひとつ欲しがるからね。子供のパーティでは手早く効率的に作ってさっさと撤収しないと、2時間も延々とバルーンの動物を作る羽目になる。

―今のお話に含みはありますか?

ライミ:(笑)さあね。どうだろう。探してみてくれ。

From Rolling Stone US.



『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』
全国公開中
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(C)Marvel Studios 2022
公式ページ:https://marvel.disney.co.jp/movie/dr-strange2.html

Translated by Akiko Kato

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