柴那典が語る、平成30年間のヒット曲の背景を書いた評論集

おどるポンポコリン / B.B.クィーンズ

田家:作詞・さくらももこさん、作曲・織田哲郎さん、プロデュースが長戸大幸さん。

柴:この年のオリコン年間ランキング1位ですし、世代を超えたヒット曲になったのでこの曲を選ぶのは最初から決めていました。

田家:で、「さくらももこが受け継いだバトン」という。

柴:実は『平成のヒット曲』の裏テーマの1つでもあるのですが……。

田家:裏テーマがいろいろあるんですよ(笑)。

柴:美空ひばりさんだけでなく、もう1人、植木等さんが昭和の象徴だと思っていて。裏テーマの1つとしては、植木等さんが昭和の時代にやっていたことを平成の時代に誰が引き継いだのか。そういう観点で実はいくつか曲を選んでいるんです。で、クレージーキャッツを引き継いだ存在の1人がさくらももこさん。リアルタイムでは分かっていなかったんですけど、後々調べてみたら『ちびまる子ちゃん』のある回で「植木等さんみたいになりたいよ」と、主人公・まる子ちゃんが言う。「そんなのなれないよ」って言われて、「スーダラ節」を書いた青島幸男さんみたいになりたいよって言う。

田家:あーそういう回があったんだ。

柴:そうなんです。そうすると、意味はないけどみんなが口ずさんじゃうようなヒット曲を作るという意味で、「スーダラ節」を書いた青島さんと同じことをさくらももこさんが作詞としてやった。そういう意味ではバトンを受け継いだのではということで本に書きました。

田家:「おどるポンポコリン」を軸にして、今話に出たクレージーキャッツとか、プロデューサーの時代とか、大滝詠一さんの役割というふうに話が深まっていく。このへんの展開が実におもしろかったですね。

柴:「おどるポンポコリン」ってあまりそういうイメージはないのですが、ビーイング系と言われる90年代の一大ムーブメントの最初のミリオンヒットでもあるんですよね。そうなってくるとやっぱり長戸大幸さんの存在の大きさもここから始まっているし、この時点で90年代が始まったんだと言えるなと思いました。

田家:で、大滝さんが出てくるというのがね(笑)。

柴:調べてみて分かったことなのですが、さくらももこさんが大滝詠一さんの大ファンだったというのがまずあり、大滝詠一さんも『ちびまる子ちゃん』のことをすごく評価していた。そして何より90年に「スーダラ伝説」で植木等さんがリバイバルヒットをする。それのプロデューサーが大滝詠一さん。

田家:大滝詠一さんはクレージーキャッツの研究家ですからね。

柴:そうなってくると、昭和時代の大スターだった人たちがこんなふうに繋がっていくんだと、そして平成という時代にこうやって流れていく分岐点になった曲だなと思いました。

田家:受け継いだバトンというタイトルになっているわけですが、冒頭で柴さんが曲を選ぶのに時間がかかりましたと。そうやって調べていくんだから時間かかりますよね。で、今日の3曲目もそんな曲です。1992年平成4年で選ばれてたのはこの曲です。森高千里さん「私がオバさんになっても」。

Rolling Stone Japan 編集部

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