ドラマストアが語る上京した理由、終わりを起点に続くことを描く2ndアルバム

―生きる意味とかバンドをやる意味というは、多くのアーティストが抱いた気持ちだと思います。良い意味での衝突もあったとのことですが、「俺たちはなんでバンドをやっているんだろう?」という会話もメンバー間で交わされたんですか?

長谷川:そういう根源的な話はしていないんですけど、僕と和也君がパッと上京しちゃったというのが大きかったですね。というのも、コロナが始まる直前に、「よし、今年の夏にみんなで東京に行くぞ!」という話しをしたところだったんです、ところがその翌週に緊急事態宣言が出ちゃって。でも、この2年の中でいろんな仕事をしてこれたんです。その間にできた繋がりが、ことごとく東京だったんですよ。それを僕は「ホンマやったら1年前に行く予定やったのにな」ってすごく寂しく思っていて。そういう気持ちが募りすぎて、去年の夏ぐらいに「絶対年内に東京に行く」って決めて、部屋も決めてないのに自分の部屋を解約しちゃって(笑)。それで僕と和也君で上京してきたというのはありました。

―東京を拠点に活動したい、という気持ちは以前からあったのでしょうか。

長谷川:新しくできた繋がりとか、僕がしたい仕事をしている人たち、友だちがみんな東京にいるということと、もう1つは焦りもありました。「なんで大阪でこんなに2年も3年も変わらない生活してんのやろ?」みたいな。もちろん、コロナがなかったらというのもあるんですけど、だったらこのまま心が枯れていく日を待つより、東京に行った方が面白いんじゃないかなということで上京したんです。

―ここ最近バンドにインタビューすると、STAY HOME期間にDTMを覚えたとか、新境地を開拓しているアーティストも増えている気がします。一方で、自分のルーツを改めて見直した、という人もいます。みなさんはいかがでしょう。音楽について見つめ直したようなことはありましたか。

松本:ごめんなさい、1つもありません。

一同:(笑)。

長谷川:僕もないかもしれない。あ、ただめちゃくちゃ痩せました(笑)。それが一番良かったです。「久しぶりにファンのみんなに会ったときに、急に痩せてたら面白くない?」っていう、ゆりやんレトリィバァさんが僕に降りてきて(笑)。急にスイッチが入りました。

鳥山:僕は結構、何もかも変わりましたね。DTMの設備を整えて、前の状態が思い出せないぐらい変わりました。楽器の技術1つとっても、教則本をめっちゃ買って練習したり、音源データをどういうフォーマットで送るのがセオリーなのかとか、曲間をどれぐらいにして送るとか、そういう知識はこの2年でざっくりですけど得ました。そのおかげでエンジニアさんと会話するにもスムーズになりました。

長谷川:確かに、今作のレコーディングでもそれは活かされてますね。鳥にめっちゃ音を作ってもらいました。

髙橋:僕も制作でパソコンを使う機会は以前よりもめちゃくちゃ増えました。それが、脳内整理になったというか、どこにどの音を置くかを目で見てじっくり考える時間が増えた変化は大きいです。

―これまで聴かなかった音楽まで手を広げるようになった、とかはあります?

長谷川:それはあるかも。僕は今アイドルしか聴いてないぐらい聴いてます。きっかけは、大家志津香ちゃん(元AKB48)と仲良くなって、そのあたりからですね。もともとアイドルの曲も好きだったんですけど、彼女のライブに行ったり、キンプリ(King & Prince)のライブに当たって連れて行ってもらったり。以前は、最近の売れている曲って、話題性とかSNSの使い方がその理由で、良いから売れているわけではないと感じているところがあったんです。でも、そうじゃないんですよね。アイドルの曲って純粋にプロが作っていて、「誰が作ってるんだろう? あ、この人こういう曲も作ってるんだ」って見るのが好きになったんです。

―4人で共通して楽しんでいるものとかってあります?

長谷川:遊戯王、ポケモン、野球、アニメ、映画、アイドル……3人で共通しているところはあるんですよ。

松本:なかなか4カードは揃わない(笑)。

―そこから音楽に繋がったりもしますか。

長谷川:僕は結構ありますね。去年「アタック25」に出場して、あれよあれよと勝ち進んでトップ賞を獲って帰ってきたんですよ。

―ええっすごいですね!

長谷川:出場するにあたって勉強もしたんです。最後の問題の正解は、「田沼意次」だったんですけど、僕は「井伊直弼」って言っちゃったんですよね。悔しかった。でも、それをきっかけに曲が書けたりしました。

Rolling Stone Japan 編集部

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