幾何学模様が語る「有終の美」 世界が認めた日本発サイケ・ロックが生まれるまで

幾何学模様(Photo by Jamie Wdziekonski)

 
東京で結成され、過去10年間にわたって極彩色のサウンドを磨き続けてきた幾何学模様(Kikagaku Moyo)。フジロック出演も決定している5人組が、活動休止前の最終アルバムについて米ローリングストーン誌に語った。


幾何学模様は独自の言語を話す。文字通りの意味で。

彼らの歌詞は複雑で、ミニマルなリフとサウンド面で相性のいい、必ずしも意味を持たない言葉の羅列で構成されている。それでもなお、日本発の5人組が生み出す音楽は世界中のオーディエンスを熱狂させた。2012年の結成当初は小さなバーで演奏していたという彼らは、やがてSpotifyの月間リスナー数が30万人を超え、有名ベニューでのショーを完売させ、ジャムバンドのシーンを代表する存在となる。だが、5月に発表されたアルバム『クモヨ島』(Kumoyo Island)と、同作を携えたワールドツアーを最後に、彼らは無期限の活動休止に入る。

5人のメンバーのうち、ドラマーのGo Kurosawaとマルチ奏者のTomo Katsuradaが本誌の取材に応じ、約10年間に渡るバンドの歩みと活動休止の理由について語った。



「僕らの音楽が世界中に広がっていったことを、本当に嬉しく思います」とKurosawaは話す。

判読不能な歌詞は、あくまで幾何学模様の個性の1つにすぎない。彼らが鳴らすサイケデリック・ロックは、メタリックなものから瞑想に耽るようなものまで実に多様だ。彼らをユニークな存在にしている理由の1つは、サイケデリア発祥の地から5000マイル以上離れた東京で結成されたという背景だろう。

「日本のサイケバンドはサンフランシスコで起きていたことを知ったり体験したりすることなく、サイケデリックなカルチャーがどういうものなのかを空想していたんだと思います」。Kurosawaはそう話す。「想像を膨らませながら、独自のものを生み出そうとしたんです」

実際、ジャムバンドのゴッドファーザーであるグレイトフル・デッドの骸骨と薔薇のロゴを原宿にある古着屋で初めて見た時、Kurosawaはそれをファッションブランドのラベルだと思ったという。だが、彼は60年代のサイケクラシックよりも、クラウトロックや中古のレコード屋で発掘したマイナーな作品群に影響を受けた。

「(アメリカの)サイケ・ロックは、カントリーやブルースなど、様々な音楽が基盤になっています」とKurosawaは話す。「日本にはそういうバックグラウンドがありませんでした」

Translated by Masaaki Yoshida

 
 
 
 

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