幾何学模様が語る「有終の美」 世界が認めた日本発サイケ・ロックが生まれるまで

 
「言語の壁」を超越するサイケ・ロック

日本では独自のサイケ・ロックのシーンが育まれてきた。60年代末にアメリカで同ジャンルが生まれた時、日本の若者の間では欧米のロックがもてはやされていた。フラワー・トラベリン・バンド等、初期の日本のサイケ系アクトは英語で歌い、海外の有名な曲をカバーしていた。今やベテランとなったアシッド・マザーズ・テンプルをはじめとする、やや後の世代のバンドはより実験的なアプローチを追求し、アンダーグラウンドに熱狂的なファンベースを確立した。

Kurosawa曰く、日本でサイケ・ロックのシーンが育った背景には「重い社会」への反動があったという。

「小さな島国の日本で暮らしている人々は皆、大きなコミュニティの一員なんです」とKurosawaは話す。「社会秩序が重んじられるあまり、現実逃避について考えずにはいられない」

アシッド・マザーズ・テンプルのライブに何度も足を運んでいるというKasturadaは、幾何学模様が「日本のサイケデリック史」に名を刻むことができたなら、それ以上に光栄なことはないと話す。

英語を話すKurosawaとKatsuradaは、アメリカでの滞在時にはスポークスパーソンとしての役割を担っている。大学時代に米国留学を経験した2人は、DIYのハウスパーティーでのライブのエネルギーに感化されたという。その時に感じた言語の壁は、幾何学模様のボーカルスタイルのインスピレーションとなった。それは遠く離れた地でサイケデリアを空想していた自身の体験を、海外のオーディエンスと共有するための手段だ。

「僕らは歌詞の意味を知らずに欧米の音楽を聴いていましたが、それでも曲にのめり込んでいました。同じことが海外のオーディエンスにも言えるはずだと思ったんです」とKurosawaは話す。「アメリカの人々は英語の曲に慣れていますが、必ずしも歌詞の意味が理解できる必要はないと思う。ユニバーサルな言語としてのサウンドに共感する、そういう考え方に惹かれるんです」

最後の世界ツアーの準備を進めながら、Kurosawaはバンドがその目標を達成したことを実感している。

「僕らの話す言葉が理解できない人々を笑顔にすること、それが目標でした」とKurosawaは話す。「世界のあちこちで演奏しながら、それが可能だということを肌で感じました。アメリカ、中国、メキシコ、それぞれの国のオーディエンスと確かに繋がるのを感じられたんです」



2014年にKurosawaがKatsuradaと共に立ち上げ、アジアの様々なアーティストの作品をリリースしているレーベル、Guruguru Brainも同じコンセプトに基づいている。台湾、インドネシア、パキスタン、韓国などから発信される多様なサウンドを広めていくことは、Kurosawaにとって非常に「重要」だという。そうすることでオーディエンスがそれぞれの共通項を見出し、「より深い理解へと繋がる」からだ。

「馴染みのない文化や場所から生まれた音楽を聴く時、僕はその背景をもっと知りたくなるんです」とKurosawaは話す。「共感できる部分があると、世界の裏側で鳴っている音楽にも共通するものがあることを理解できるし、作り手と友達になれそうな気がしてくる。その感覚をみんなにも知ってほしいんです」

様々な壁を超越する体験の追求という点において、ライブにおけるユニバーサルな音楽体験もバンドの信条の1つだ。Kurosawa曰く、ステージ上で最も大切なことは「オーディエンスと繋がること」だという。そういう意味でも、パンデミックはバンドに大きな困難をもたらした。彼らは1年半にわたってステージから遠ざかることになったが、それほど長いブランクを経験したのは結成からの10年間で初めてだった。バンドは去年の後半にツアーを再開し、ヨーロッパと西海岸の各地でショーを行った。

Translated by Masaaki Yoshida

 
 
 
 

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