s-kenと高橋一(思い出野郎Aチーム)が語る、パンクを通過したダンスとレベルミュージック

ー2020年に新型コロナウイルスが流行し、街から人がいなくなってしまいました。音楽活動と世の中の動きに関して、どういうことを考えて活動されていたんでしょう?

s-ken:長いこと生きていて、こういうことは初めてで。ただ、メディアが大騒ぎしていることにつられちゃうと、右往左往して時間が過ぎちゃうような感じがして。だから若干情報をシャットアウトして、逆にいい機会だと思って自宅にこもって現在、過去、未来の東京を頭の中で夢想し放浪したんです。『異人都市TOKYO』って本を1988年に書いたんだけど、コロナ前まで写真家、上出優之利氏や後に加わったフリーエディターの片山喜康氏と東京中を徘徊していて何十年ぶりかまた、イーストサイドを中心に在日外国人や社会的アウトサイダーが活力を与えてくれる異人都市空間が浮上してくるように感じたんです。今度のアルバムは制作が進むに連れて内容が『異人都市TOKYO』の21世紀版のような世界観もでてきたんじゃないかな。

ーコロナと制作という点でいうと、マコイチさんはどのように考えていたんでしょう。

高橋一:コロナ以前の話になっちゃうんですけど、僕の姿勢として圧倒的に変わったのは、3.11のときで。ちょうど思い出野郎Aチームを結成して3年目だったんですけど、それまでは浮かれていて、ちゃらんぽらんだったのですが、あっという間に世の中の見え方も変わってしまったし、自分の価値観が大きく変わる感覚がありました。それまで聴いていた音楽も、3.11をポイントとして個人的に以前よりも響かなくなってしまったもの中にはあって。そんな中で、「TOKYO SOY SOURCE」シーンのバンド、s-kenさんしかり、MUTE BEAT、JAGATARA、TOMATOSの音楽が、逆に以前より、もっと強く聴こえてきたんです。重要度が自分の中で上がった感覚があった。何もかもが変わっていくなかで、揺るがない「普遍性」のようなものを感じて、そこに影響されてバンドを続けてきたんです。なので、それは自分たちを取り巻く社会と音楽の関わり方で、結構重要なポイントになっています。コロナ過がやってきて、どうしたらいいのかもわからず右往左往しましたが、そんな下敷きがあるから何とかキツい状況のなかで制作を続けられているのかもしれません。


高橋一(photo by 上出優之利)

s-ken:自分がニューヨークから戻る前に僕は世界一周しているんですけど、そのときに今まで小さい世界、日本のメディアが発信するニューミュージックやロックという小さい括りの中だけで音楽をやっていたことに気づいて。古今東西もっと大きな視点で、情報を捉えたら俺の好きなものがいっぱいあるんじゃないかなって。例えば、あるカエルがミミズを狙っているとしたら、それを見ている俺がいて、振り返って上を見たら俺を狙っているやつがいるみたいな構造がある。そういうのに気がついたときに、流行と関係なく自分の美意識みたいなもの、本当にいいと思ったものを取り込もうと思ったんです。今、何が流行っているかとか関係なく。そういうことがあって、そうして美意識に近い人間が集まって始めたのが「TOKYO SOY SOURCE」だったような気がします。

高橋一:当時としても異質なものだったんですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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