s-kenと高橋一(思い出野郎Aチーム)が語る、パンクを通過したダンスとレベルミュージック

ー今言っていた精神性とかパンク性に加えて、サウンド面で共鳴する点もありますよね。

高橋一:パンクの空気を濃厚に感じながらも、s-kenさんの音楽は圧倒的に踊れる。多種多様なグルーヴがごった煮のようにあって。それがパンクを通過した一本筋が通った状態で提示されている。ある種のサイバーパンク感もあって、こんな音楽、聴いたことないよね! みたいな部分に影響されました。もちろんJAGATARAもMUTE BEAT、TOMATOSもそうで。それぞれのオリジナリティーの中にタフで多彩なリズムがあるんですよね。そこにとにかく憧れました。

s-ken:音楽的に言うと、『Share the Light』のレベルまで外来の音楽を体に染み込ませつつ、日本語との一体感があって、歌詞を取り出しても1つの詩としても読めるレベルのバンドはなかなか表れなかったんですよね。そして単純にダンスミュージックとしても踊れるという。

高橋一:いやー、恐縮です。

s-ken:あの楽曲と音楽性のレベルで、自然に自分たちの環境を歌っている。逆に日本語の語感がフィットしていてアメリカにはないソウルのグルーヴだなって。

高橋一:めちゃくちゃうれしいです。僕からすると、そういったこともs-kenさんたちからの影響もあります。世界を回って、当時のトーキング・ヘッズをCBGBで見て帰ってきて、そういった本場の感性も持ちながらオリジナルな、ある種の聴いたことのない音楽になっていることが凄いと思いました。大学時代に最初、The JB’sみたいなファンクバンドをやろうとしたんですけど、僕らの場合下手くそなこともあって、当たり前ですが絶対に本物を超えられないなと思って。歌モノをやろうってなったときも、もっと歌がすごく上手いシンガーの友だちに頼むのもありだよねと思ったんですけど、僕らはソウルを遜色なくやることを目標にするのではなくて、「TOKYO SOY SOURCE」の音楽だったり、s-kenさんみたいに、自分たちが影響を受けた色々な音楽を取り込んだバンドをやろうとなりました。それで結局、僕がボーカルになったんです。今思えば、その友だちにボーカルを頼んでいたら、もっと売れていたかもしれないですけど(笑)。その一方で、近年のBlack Lives Matterに象徴されるように、長い間ずっと黒人の人たちが受けてきたひどい差別、迫害の歴史があって、それが今もずっと続いている中で、僕はブラックミュージックに深く影響を受けて、自分の音楽を作ってきたのに、そういったことに対して実際に行動してこなかったし、恥ずかしながら勉強不足で、自分がマジョリティー側だということにも無自覚でした。自分が影響を受けた音楽のサウンド面だけでなく、その音楽がどうやって生まれてきたのか、生み出した人たちが今なおどういう状況なのかをより考えて活動していかなければとも思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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