アラン・ホワイトが72歳で死去 イエスのドラマー、ジョン・レノンとも共演

アラン・ホワイト、1973年撮影(Photo by Michael Putland/Getty Images)

プログレッシブ・ロック・バンド「イエス」(Yes)のメンバーとして知られ、ジョン・レノン「イマジン」などビートルズのメンバーソロ作にも参加してきたドラマー、アラン・ホワイト(Alan White)が5月26日に亡くなった。享年72。本人の公式サイトおよびSNSで家族が明らかにしている

アラン・ホワイトは2017年、イエス名義で『ロックの殿堂』入り。米ローリングストーン誌「歴史上最も偉大な100人のドラマー」第35位。家族の声明には、「私たちの最愛の夫であり、父親であり、祖父であるアラン・ホワイトは、短い闘病生活の末、2022年5月26日にシアトル地域の自宅で72歳の生涯を閉じました。アランは自身の生涯と60年にわたるキャリアを通じて、世界中のファンにとってはロックスター、一部の人たちにとってはバンド仲間、そして実際に会う人々にとっては紳士であり友人でした」と記されている。

アランは1949年6月14日、イングランドのダーラム州ペルトン生まれ。6歳でピアノ、12歳でドラムを始め、13歳から公の場で演奏するように。60年代を通じて数々のセッション活動を行い、キャリアを積んできた。1968年には、クリームのジンジャー・ベイカーや、トラフィックのスティーヴ・ウィンウッドなどによって結成されたグループ、Airforceに加入している。

翌69年にはプラスティック・オノ・バンドのセッションに参加。ジョン・レノンから電話がかかってきた翌日、彼やオノ・ヨーコ、エリック・クラプトンなど共にトロントに向かう旅客機の後部座席で、椅子をスティックで叩きながら曲を練習したという。トロントでの模様は1969年のライブ・アルバム『平和の祈りをこめて』(Live Peace in Toronto 1969)として発表されている。

その後もアランとジョンの関係は続き、「インスタント・カーマ」などのシングルにも参加。ジョンの代表作『イマジン』(1971年)でも表題曲などでドラムを担当している。さらに、ジョージ・ハリスンによる1970年の名作『オール・シングス・マスト・パス』にも参加しているほか、ビリー・プレストンなどアップル・レーベル関連のアーティストとも仕事している。

1972年、ビル・ブルーフォードの後任としてイエスに加入。わずか3日間で楽曲を習得した彼は、『イエスソングス』、『海洋地形学の物語』(共に1973年)、『リレイヤー』 (1974年)などバンドの人気作に参加。1976年には初のソロ・アルバム『ラムシャックルド』を発表。2005年には自身のリーダーバンド「ホワイト」を結成している。

アランは2019年の来日ツアーでも演奏していたが、健康上の問題によって、今年6月からスタートする『危機』50周年記念UK/アイルランド・ツアー不参加を発表したばかりだった。『危機』50周年記念ツアーは日本での実施も決まっており、9月5日、6日に東京・オーチャードホール、8日に大阪・NHK大阪ホール、9日に名古屋・ビレッジホールでそれぞれ開催される予定。

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