鈴木慶一自薦22曲で語るmoonriders、澤部渡や佐藤優介とともに46年の歴史を辿る



田家:作詞が坂田明さん。

鈴木:そうです。時々とてつもない歌詞が登場するんですけども、坂田明さんの歌詞。あとは蛭子能収さん。自分らでは書けません。

佐藤:「だるい人」ですね。

鈴木:糸井重里さんの「花咲く乙女よ穴を掘れ」とかね、そういうとんでもない歌詞が出てくる(笑)。

田家:で、『P.W Babies Paperback』というのはPost War Babies、戦後生まれ。

鈴木:そうです。まあ、みんな戦後1桁なんですよ。昭和21年から29年まで。その頃はこのアルバムを作るために戦後まもなくの感じを研究したりしていましたね。

田家:澤部さんも佐藤さんもPOST WARではあるわけですけどね。

澤部:だいぶ意味合いが変わってますね。

田家:戦後生まれみたいなこの世代。moonridersは世代を超えていますけども、こういうアルバムを作っていることに対して、どう思われました?

澤部:このアルバムになると個人個人の作業がより内向きになっていったような気がして、かしぶちさんの打ち込みだとか、岡田さんの打ち込みだとか。いい意味でバンド感と個人の作業のバランスがどんどん混ぜこぜになっていった時期なんだろうなと、勝手に見ていました。

鈴木:うん。打ち込みだけじゃなくて生に差し替えていたりもするんでね。

田家:そういう個人的っていうことで言うと、白井良明さんの「夢ギドラ85’」とか、「隅田川」が出てきたり、博文さんの「銅線の男」は鉄屑拾いがあったりですね(笑)

鈴木:子どもの頃は鉄屑っていうか、銅線。銅線拾っちゃ売ってましたからね。

田家:売ってましたね。「スペースエイジのバラッド」にナレーションが入っていて、これどなただろうと思ったら、慶一さんと博文さんのお父様。

鈴木:『ミステリー・ゾーン』というテレビ番組がありましてね。1年目のナレーション、ロッド・サーリング役を私の父親がやっていたんです。

田家:俳優と声優だった。

鈴木:タイトルは『未知の世界』かな。しかも、記録が残ってない。生放送。うちの親父、この頃からちょっと調子悪くなっちゃってたんでね。声を使って、記録に残しておこうかなと。もとのセリフをどこかのネットで見つけまして、それに近いような形で語ってもらう。空をいつミサイルが飛んでもおかしくないという意味も含めて、スペースエイジなんですよ。宇宙旅行というのは裏を返せばミサイルの開発なので。子どものとき、キューバ危機のとき、私の家は飛行場が近かったのでジェット機が飛ぶ間、布団にくるまりました。ミサイルに違いないと思って。

田家:羽田でジェット機が飛んで。

鈴木:それで生き残れるわけはないんだけどね(笑)。

田家:そういうアルバムがさっきおっしゃった自分たちのレーベル、MOONRIDERS RecordSから発売された。

鈴木:非常に自由にやった分、各々の個性を存分に吐き出すと。抑えの効かない感じの(笑)。1個前の『Dire Morons TRIBUNE』のカオスとはまた違う形だと思います。

田家:1989年、1987年生まれのお2人は自分たちのレーベルみたいなものに対して、もうちょっと身近な感じがあるでしょ?

澤部:もちろん、僕らもそれぞれ自分のレーベルを持ってますし。

田家:この頃に自分たちのレーベルを持ったってことに対してどう思われました?

澤部:わりとミュージシャンの方が自分でレーベルを持ち出した時期でしたよね。

鈴木:そうだね。要するにコントロールができるようになったってことです。ディストリビューターがたくさんできてきて、作ったものを頼むと%は取られますが、アルバムを出せる。メジャーとマイナーの違いがぼやけてくる。

田家:制作意欲がより増したんだろうなというのも、1年後に新作が出ました。慶一さんが選ばれた19曲目2006年10月発売のアルバム『MOON OVER the ROSEBUD』から「Cool Dynamo, Right on」。

Rolling Stone Japan 編集部

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