矢沢永吉が語る、50年かけて行き着いたライブ哲学

矢沢永吉(Photo by Hiro Kimura)

2022年、矢沢永吉がデビュー50周年を迎えた。1972年12月25日にキャロルの1stシングル「ルイジアンナ」でキャリアをスタートさせて以降、矢沢はソロ・アーティストとして次々と新たなサウンドへ挑戦すると共に、ロックがまだ日本のカルチャーとして根付いていなかった時代から全国各地で精力的なライブツアーを行い、道を切り拓いてきた。ここでは現在発売中の「Rolling Stone Japan vol.19」カバーストーリーの前半部分を抜粋して、その発言をお届けする。

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「音楽って、全部正しいんだ」

ー50周年、おめでとうございます。まず、6月8日にリリースされたライブ作品『ALL TIME BEST LIVE』のお話から訊かせてください。矢沢さんの膨大なライブの記録から、50曲を選ぶのはかなり大変だったと思います。『STANDARD ~THE BALLAD BEST~』の際にはリサーチセンターを使って選曲を決めたとおっしゃっていましたが、今回はどのように選曲されたのでしょうか?

矢沢 この作品は「ALL TIME」ですから、今まで50年やってきた長い年月から抜粋したこのシーン、あのシーン、50ステージを収録しているんですけども、今回は周りのスタッフの意見も聞きながら、僕が曲を選びました。その時期その時期のライブで「これ、名ライブだったよね?」という中から、バッティングしないように選曲しています。それと、外部の人たちからの「このライブすごかったよね」という意見も参考にしましたね。

ー1980年代の映像から2010年代の映像まで、幅広く収録されていますよね。リミックス、リマスターを矢沢さん自ら監修されているとのことですが、相当クオリティにはこだわっていると思います。苦心したことなどあれば教えてください。

矢沢 やっぱり、なるべくテイストが違うようにしようと思いました。でもまあ、ステージのクオリティ、音のクオリティというのは、答えがないね。僕はこれだけ長く活動してきて思うんだけど、音楽を作る、編集する、ミックスする……キリがない(笑)。はっきり言って、答えがないのが音楽なのかなって思います。例えばわかりやすく言うと、初期の頃の矢沢の音楽。今現在、僕は72歳ですけど、それこそキャロルから数えて50年です。キャロルでスタートを切ったころ、レコーディングのやり方もよくわからないままにやってきた。それから、アメリカに行っていろんな世界的なミュージシャンともセッションしたりした。そうすると、僕の中の音楽がだんだん生意気になってきて、初期のレコーディングのやり方もわからなかったあの頃を「なんだ、こんなチープな音して」ってバカにするわけ(笑)。それで、「今だったら俺はもっとこういう風にやるよ」って、作ったことも結構あります。だけど、そこからさらに時間が経っていくと、「何言ってんだよ。あのときはあのときじゃなきゃ出せない音があったんだよ」ってなるんですよ。何か足りないものだらけのものが、なんとも言えない味を出していいじゃないかっていうことがわかるんです。



ー時を経たからこそ、わかる味わい深さというか。

矢沢 そう、それがわかる。だから、オリジナルのすごさ、最初に出したときの味のすごさ。それは確かに迷っていたり、弱々しいところもいっぱいあるけど、「それがいいんだよ!」みたいなね。そういうこともわかったりするから、音楽っていうのは答えがないね。もう、50年やっているとそういう域に入りますよ。「音楽って、全部正しいんだ」って。青々しいところも、その音がなんて素晴らしいのかと思う。今は、アレンジのセンスから何から、全部レベルが上がってますよ。もちろん、それもいい。だけど、じゃあ昔の物足りないものがダメなのかといったら、そんなことない。それも、めちゃくちゃいい。

ーキャリアが浅い頃のご自分が作った音楽も愛おしい?

矢沢 もう全部OKですよ。全部正しかったんだなって、今思えます。



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