新世代ソウルの旗手、ドラン・ジョーンズ&ジ・インディケーションズが語る結成秘話

ドラン・ジョーンズ&ジ・インディケーションズ(Photo by Ebru Yildiz)

2020年代のソウルを表現する5人組、ドラン・ジョーンズ&ジ・インディケーションズ(Durand Jones & The Indications)の来日公演が7月14日(木)、15日(金)にブルーノート東京で開催される。国内外の音楽ファンを魅了してきた新世代ビンテージ・サウンドはどのように培われてきたのか。結成から飛躍までのプロセスを語った2019年のインタビューを振り返る。

ドラン・ジョーンズ&ジ・インディケーションズが2016年にセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースしたあと、ファンが特定の楽曲に惹き寄せられていると気づくまで時間はかからなかった。「Is It Any Wonder」は、ドラマーのアーロン・フレイザーによる思春期前のファルセットの長いラインを鋭いリムショットが穿つ、プリティでゆったりとしたソウル・バラードだ。「アルバムが発売されてから、数カ月後にはeBayで僕らの曲が収録されたCDの海賊版が出回っていた」とギタリストのブレイク・レインは振り返る。

これらのミックスCDは、チカーノの車文化と強いつながりを持つR&Bのコミュニティ、ローライダー・ソウルのファンにとって“通貨”としての役割を担っている。バンドは中西部の小さな独立系レーベルの新人であり、「Is It Any Wonder」はもともとデモで、ドラン・ジョーンズが歌い直す予定だったものだ。しかし、「ローライダーのコミュニティは非常に大規模で、深く音楽と関わっている」とブレイクは語り、アーロンによれば、インディケーションズは突然「テキサスから北カリフォルニアに至るまで、多くのラテン系ファンとつながった」のだという。「それが僕らのファンベースの大きな核になっているんだ」と、アーロンは付け加える。



昨年リリースされたアーロン・フレイザーのソロ作『Introducing』は日本でも話題に。

ローライダー・ソウルはグループでの歌唱を重視し、ドゥーワップ・ハーモニーとのつながりを持ち、フラジャイルで赤裸々なバラードを進んで選び取ってきた。これらのアプローチはすべて、今日におけるポップのメインストリームからほとんど姿を消してしまったが、それがインディケーションズにとって大きな魅力の一部となっている。「みんなで一緒に歌ったとき、今ではお目にかかることのない“何か”があることに気がついた」とアーロンは言う。「(現代のポップスは)フロントパーソンが主導権を握っていて、ハーモニーというものがない。だから、まるで声が広がらないんだ」。

インディアナ大学で出会ったインディケーションズにとって、ソウルの歴史への興味は結束を強める力となった。「僕らは古いソウルのレコードがもつサウンドを通じて意気投合したんだ」とブレイクは語る。シャロン・ジョーンズ、チャールズ・ブラッドレイのレトロな楽曲をリリースしているブルックリンのレーベル、Daptoneを発見したときは衝撃を受けたという。「『なんてこった、(古いソウルのサウンドは)時間の経過とともに失われたわけではなかったんだ』みたいな感じだった」。さらにブレイクは続ける。「これらのレコードをリバースエンジニアリングすることができると気づかされたんだ」。


インディケーションズの影響源/お気に入りを集めたプレイリスト。新旧のソウルなど共に、吉田美奈子や坂本慎太郎の楽曲も選ばれている。

インディケーションズはブレイクとアーロンの所有する地下スペースでレコーディングを始め、その楽曲をブルーミントンにあるバー「Bishop」で披露しながらテストした。それと同時期に、地元のレコード店で「最もクールな45インチ」を扱っていたオハイオ州のレーベルColemine Recordsの共同設立者であるテリー・コールと連絡を取り合うようになる。このレーベルのリリースをいくつか聴いて、ブレイクはColemineを「中西部のDaptone」だと見なしていた。

そうなれば、Colemineが最終的に、Daptoneのファンたちの作品をリリースすることに同意したのも必然の流れだった。彼らはドラン・ジョーンズ&ジ・インディケーションズとしてレコードを出すことに興奮したものの、商業的な期待は控えめなものだった。「テリー・コールは1000枚のレコードをプレスすると言っていた」とブレイクは回想する。「僕はこう思った。『おいおい、500枚くらいでいいんじゃないか? 750枚も出したら怒られるよ 』ってね」。

しかし、ドラン・ジョーンズ&ジ・インディケーションズは予想外の支持を得ていった。「最初の盛り上がりは、実店舗のおかげだ」とアーロンは言う。「多少のPR活動もしたけど、ほとんどはレコード店が店頭にレコードを並べ、お客さんが『これは何だ?』となって広まるという感じだった。そこから最初のブッキング・エージェントを見つけ、そのエージェントがLAでのショーのブッキングを手伝ってくれて、そのおかげで活動を広げていくことができたんだ」。

Translated by Rolling Stone Japan

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