Diosの根幹を探る たなかが明かす再生までの物語、3人が共有する美学とビジョン

Dios、左からササノマリイ、たなか、Ichika Nito(Photo by Masato Moriyama)

 
かつて「ぼくのりりっくのぼうよみ」として活動していたボーカリスト&作詞家のたなか、マシン・ガン・ケリーやホールジーなど世界的トップアーティストたちの楽曲でギターをプレイしながらバンド「ichikoro」でも活動するギタリストのIchika Nito、テレビアニメのテーマをいくつも手掛け、楽曲提供でも引っ張りだこのシンガーソングライター/トラックメイカーのササノマリイ。そんな3人が2019年末頃に始動させたのがDiosだ。

なぜ彼らはバンドを組むことを選んだのか? 6月29日にリリースされた1stアルバム『CASTLE』を聴けば、このインタビューで語ってくれた彼らの意志がはっきりと伝わると思う。芸術的な価値観を共有する3人が創作意欲を爆発させるために集まった場、それがギリシア神話に登場する「酩酊の神」を冠したDiosだ。時を超えても人々の心に触れる神々しさの宿る音楽を、Diosのアルバムでは堪能することができる。そしてライブに行けば、3人ともが音楽を心底楽しんでいる自由で美しい姿を見ることができる。

たなかの単独インタビューと、3人のインタビュー、2本立てでDiosの根幹を探ることにした。

【写真ギャラリー】Dios撮り下ろし(記事未掲載カットあり)




1. たなか単独インタビュー
「前職ぼくりり」再生までの物語


Photo by Masato Moriyama

―まず、なぜ2019年1月に「ぼくのりりっくのぼうよみ」を辞職したのかを、今のたなかさんの言葉で話してもらえますか?

たなか:当時から今に至るまで、あんまり感想は変わってないかもですね。役割としては、2つのレイヤーがあって。アート的な表現方法のひとつとして「終わらせる」という形を意図的にやるのが面白かったかな、ということと、個人的な負債の返済の作業という意図があったかもしれないですね。

―負債の返済?

たなか:というのは……それはぼくりり以前から、自分が人間として生きてきた上で漠然と背負っていた負い目みたいなもの。それを解消する行為でした。そういう2つの軸で、ぼくりりの終わりを自分の中では処理している感じですね。あとは単純に、軌道修正の意図が大きかったです。

―私も何度もぼくりりを取材し特集記事を作らせてもらっていましたが、当時の記事を読み返すと、あのときの私の切り口やぼくりりの紹介の仕方はこれでよかったんだろうか、って反省するんですよね。

たなか:本当ですか? でもそれはさすがにしょうがないというか。一緒に作っていたチームの人とかは反省する要素があると思いますけど、外部の人は「そりゃそういうふうに書くでしょう」というか。取り上げてもらってありがとうございます、っていう感じでしかないですね。

―でも、その人生で背負ってきた負い目、というのは?

たなか:常に申し訳なさみたいなものがずっとあった、というか。

―それは、誰に対して?

たなか:誰なんですかね? 世界全体に? 常に「自分がここにいていいのだろうか」みたいな感じがすごくあるというか。そういうのを自分の中で晴らせた気がするんですけど。誰かに否定されたくない、みたいなことが強かったですね。誰かからネガティブな反応をもらうことを極限まで避けたくなってしまっていた。それはインターネットに部分適応しすぎた、みたいな感じなんですかね。つまり「Twitterでディスられないためには」みたいなところに特化して、でもそれって本質的ではないじゃないですか。3個ディスられても5万人に聴かれた方が絶対にいいはずなんですけど、そうじゃなくて、とにかくマイナスをゼロにすることにフォーカスしていっちゃって。それは自分の持っていた性質、負い目、つまり「誰からも否定されたくない」みたいなところが強かったから。Diosはそういうことなくやろうという感じですかね。いい意味で、遊びみたいな感覚でやっているかもしれないです。

―アルバム『CASTLE』の最後に収録されている「劇場」はDios自身のことを歌っているようにも捉えられますけど、“虚構でも構わないよ”というラインがあって。ぼくりりのときは虚構や偶像として見られることに抵抗感を持っていたわけじゃないですか。

たなか:たしかに、そうですね。でも、そうでしょう、みたいな。覚悟さえしていれば何だってよくて。覚悟が伴わないのがよくなかった。自分的にはそういう総括ですかね。「劇場」は「ミニチュアのDiosを書いた」みたいな感じがありますね。自分たちがどう思っているかは置いておいて、客観的にDiosとはこうあるべき、みたいな感じかなと。“賞味期限付きの愛”は、エンタメとして提示する上で飽きられることはどうしてもあるから、それを受け入れた上で、骨でできたステージの上に立って、いつかは自分たちもその骨のひとつになっていく気持ちでやってるよ、と。そういう曲ですね。



―またポップミュージックの舞台に立つことに拒否感はなかったんですか? こうやってアミューズという大きな事務所と一緒に商業音楽をやっていくことを選んだのはなぜなのか、という。

たなか:単純に、最初は結構売れたかったですね。今別に売れたくないわけじゃないですけど。(ぼくのりりっくのぼうよみの)当時は「行けそうで行けなかった」みたいな感じだったので、もうちょっと「行くところまで行ききる」ということをやろうかなと思っていたんです。でも、やっているとどんどん方向も変わってくるというか。

―「行ききる」って、たなかさんの中でどういうことを指すんですか? そこの定義も曖昧で難しくなってきていますよね。

たなか:いや、そうなんですよ。一回山を登ってみたらやっとそこでわかることもいっぱいあるだろうけど、難しいですよね。僕はそれが、コロナのときに全部どうでもよくなったところがあって。フェスも中止になったりして、おっしゃる通り、「山って何?」ってなって。なので今Diosの目的としては、もちろんセールスとしても売りたいとは思いつつ、結局、最終的に自分たちが「すごく楽しかったね」と言えるようなものをヘルシーな状態で作っていこうっていう。持続可能性。やっぱり時代はSDGsですよね。

―(笑)。

たなか:(笑)。そんなバンドです、気持ちとしては。

―今、冗談半分でSDGsって言ってくれたけど、アーティストに限らず、どんな職業・立場の人も「幸せ」や「成功」って何?って考え直さざるを得なくなって、持続可能な心のヘルシーさや生き方をみんなが模索しているような状態だから、たなかさんやメンバーの生き方が滲み出ているDiosの音楽は今の時代に大切なメッセージや指針として届くだろうなと思います。

たなか:高度経済成長みたいな、みんなが共通で背負っている物語もなくなっちゃったから、「何のために」も「10年後のために何をするのか」もほとんどないですよね。今24歳なので、50年後とかも全然あるわけじゃないですか。え、何すればいいの?みたいな(笑)。そういう意味で、刹那的になったというか。1日を健康に生ききる、明日もそれをやる、みたいなところに尽きちゃうのかなという気はしていますね。

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