Diosの根幹を探る たなかが明かす再生までの物語、3人が共有する美学とビジョン

 
Diosで追求する「骨太」の表現

―また音楽をやりたい、という気持ちはいつからあったんですか?

たなか:ぼくりりの最後の頃も、むしろ「音楽的には成長してきたな」みたいな感じがあったので。

―本当にそうだと思います。

たなか:だからやった方がいいなとは思っていて。何か新しいものが欲しいなと思いながら漫然と過ごしていたら、なんだかんだIchikaとかと出会って、という感じですね。


Photo by Masato Moriyama

―ぼくりりの頃の曲の作り方と、Diosの曲の作り方と、たなかさんの意識は具体的にどう変わっていますか?

たなか:根本的な軸はそんなに変わってないような気はしていて。色々ブラッシュアップされたり、時期によって好みが変わったりするし、Diosをやっている中でもどんどん変わっていってる感じですかね。最近は「自分は単なるカメラである」みたいな感覚が強くなっていて、それを肯定できるようになりました。つまり、前までは言葉に体重が乗っていないと嫌というか、そういうものを是としてきたところがあって。ラッパーのB.I.G.JOEが好きなんですけど、刑務所の中から電話で音声を録音してアルバムを作っている人の方が「重くね?」みたいな。言葉に乗っているバックボーンやリアリティでいうと、勝てるわけがないじゃないですか。だから表現をする上で、恵まれていることへのコンプレックスがあったんですよね。なぜかそこらへんの感覚だけヒップホップ的なマインドがあって。ぼくりりを終わらせることも、その影響が強かったというか。「バックボーンがないから後天的に獲得してしまおう」みたいな話ですかね。自分から不幸になりにいくことによって、そういうカードを得るみたいな、アンヘルシーな発想だったんですけど、それも今ではどうでもよくなってきて。やっと氷解してきました。最近は自分というカメラで「美しいな」と思う光景を撮って、お客さまに見ていただく、という感じかな。

―それはアルバムの表現に直結する話だと思うんですけど、たなかさんは、どういう人間の姿を「美しい」と感じますか?

たなか:マイナスなものに惹かれますね。正解がわかっているのに動けないことが、自分にとっての美しさの根幹のひとつにあります。デッドロックみたいな状態になっちゃいながらも生きている様子に美しさを感じる。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』が好きで。3つくらいの時間軸がクロスオーバーする作品で、戦争でどこか遠い国に行く人が出てくるんですけど、色々あって、敵と戦っていたら深い井戸に閉じ込められちゃうシーンが出てくるんですね。井戸なので上が開いていて、一瞬だけ太陽が通るわけじゃないですか。その瞬間を、毎回異様に覚えている、という話があって。そういう瞬間は誰の人生にも訪れるんだけれども、そのときにその光を掴める人と掴めない人がいる、というエピソードが出てきて、それが面白いなと思って。結局、井戸に閉じ込められた人は、ずっとその空間に居続けちゃう。物理的には日本に戻って暮らしているんだけれども、彼の精神はその光を掴めなかった最も決定的な瞬間に吸い寄せられたまま止まってしまっている。そういうのがいいなと思ったりします。それは「残像」で書いたことですね。そういうのが好きなんですよね。

―では、「紙飛行機」はどういう考えがベースにありますか?

たなか:「残像」にちょっと近いのかな。一瞬の体験がトラウマのように焼き付いてしまっている人が、それでも今日もまたトライする、みたいな話ですね。この人にとっては、子どもの頃に紙飛行機が飛ばずに落ちちゃったことだという話なんですけど。他の人から見たら大したことないんだけど、あまりにビビッドな一瞬が自分の中に残っちゃっていることってあるなと思って。

―ありますね。

たなか:「紙飛行機」の途中で急にジュークボックスみたいな音が流れるのは、過去を回想しているという意味を込めています。



―拡大解釈をすると、コロナ禍ってみんなにとって、「紙飛行機」のストーリーのように計画していたものが墜落しまくる2年間だったじゃないですか。しかも、フェスで大声を出していた風景とか、大勢で飲み会をしていた風景とか、当たり前にあった景色が宙に浮いてるような状態にある。そういう時代性と重ね合わせたところもあったりしますか?

たなか:正直、今回の制作においてコロナのことはあんまり関係ないかもですね。どちらかというと、コロナとクリエイターを結びつける話をメディアで見すぎて「もうよくね?」みたいな感じが個人的にはあります。別に誰かがそういうことをやっている分には全然かまわないですけど、自分はテーマにしないかなと。コロナと関係なく普遍的な小説を書いているというイメージですかね。

―コロナ云々よりも、それこそ村上春樹の作品が時を超えて読まれ続けるのと一緒で、普遍的な人間のことを書いていると。

たなか:そういうのを書きたいなという気はしますね。

―だからこそ10年後、もしくは30年後も、「生きるとは何か」「人間とは何か」を伝えられる音楽になるかもしれないし。

たなか:そうなったらすごく嬉しいですね。めっちゃ嬉しいな、それ。


Photo by Masato Moriyama

―ぼくりりのときもそれは考えてました?

たなか:いやあ、もう「リリースだ!」「とりあえず頑張って出そう!」みたいな。

―(笑)。ぼくりりとして活動していた頃よりもますますコンテンツ過多社会になっていますけど、そんな時代だからこそ、どういう音楽を自分は作りたいと考えますか?

たなか:一部を切り取って「いいですね」って言われたり、TikTokで使われてバズることもいいとは思うんですけど、そろそろ揺り戻しがくるだろうなと思っていて。反動で、骨太のものを求めているだろうなって。アルバムはそっちに賭けているかなと思います。

―たなかさんがいう「骨太」とは?

たなか:歯ごたえ。噛まないとわからない、みたいな。それでいうと、サカナクションとかはすごいなって今改めて思いますね。シンプルな言葉を連呼するんだけど、そこに留めないで、「奥に引き摺り込むぜ」みたいなことが山口一郎さんの目から見える。でも、自分が美しいなと思うものをナチュラルに作るとそっちにあんまり行かないので、ただ「面白いな」と思いながら見ていますね。

―たなかさんが感じている美しさは、短いパンチラインで表現できるものじゃないですもんね。

たなか:作家としてはしなきゃいけないんですけどね。

―でも、今は心もヘルシーだというのが何よりです。

たなか:ヘルシーでございます。まじでヘルシーですね。売れても売れなくても……いや、もちろん売りたいし売るんですけど、売れなくても死なないしいっか、みたいな。僕の中では、生きていればいける。だからヘルシーに生き続けるのが大事だなと思っています。

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