小田和正が追求する音楽の普遍性、オフコース時代から現在までを辿る



流れているのはオフコース、1979年のシングル「愛を止めないで」。アルバムは『Three and Two』。なぜこれをおかけしているか。当時、いい曲だなーと思ったんですよ。この曲の勢い。カタルシスという意味ではオフコースに対してのイメージが全然変わったんですね。もちろん彼らのことは知っていたわけです。認識したのが1973年の「僕の贈りもの」ですね。アルバムは1975年の『ワインの匂い』でしょうね。「僕の贈りもの」は当時私が構成していたラジオ番組でよく流していたんです。でも、扱い方がどちらかと言うと清涼剤的な曲。言葉がちょっと悪いんですけど、箸休め的な扱いと言うのかな。当時、フォークロックがいろいろかかる中で、ちょっと気持ちを替えるとか、穏やかな気持ちになるという扱い方で「僕の贈りもの」はよくかかっていました。

1973年、1974年、1975年というのは、吉田拓郎、井上陽水の絶頂期ですからね。勢いのあるフォークロックが多くて、男性的なものも多かった。ハーモニーが綺麗な洗練されている育ちの良さそうな2人組は主流じゃなかったわけで、でもみんなそういうものがあるとホッとするような存在だったんです。そこから始まって5人になって、照明とかPAのチームを組んで、自分たちの事務所も立ち上げ地固めをしながら1つ1つ積み上げてきたのが小田さん、オフコースの70年代。その地固めが終わったのが1979年。狼煙のような曲に思えた。この曲で突き抜けた気がしたんです。今日は『あの日あの時』からセルフカバーをお届けしようと思います。



田家:この曲の中に〈眠れぬ夜はもういらない〉という歌詞がありますね。彼らの最初のプチヒットになるのかな。「眠れぬ夜」ですね。とても上品なポップスだった、もうそういうところに僕らはいないんだということでもあるんだなと思って聴いていました。そんなことも懐かしく思えたりしますね。

1979年に田園コロシアムで2日間コンサートをやりました。そのときのことを小田さんがインタビューで言っていたことがあるんです。「俺たちを聴いてくれる人がこんなにたくさんいるんだというふうに感動した」と。田園コロシアムは数千の客席しかありません。でも、当時はそこにそれだけの人が集まるということで感動できた。売れるとか売れないということが彼らの音楽の基準ではなかった。これは先週までの3人の方がおっしゃっていましたが、本当に自分たちの納得できる音楽を作り続けてきた。そういうキャリアだということをあらためて思い出したりしました。

Rolling Stone Japan 編集部

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