小田和正が追求する音楽の普遍性、オフコース時代から現在までを辿る



田家:私が選んだ3曲目、1980年3月に発売されたシングル「生まれ来る子供たちのために」。この前のシングルが1979年12月に出た「さよなら」です。「さよなら」は売れることを意識して作った曲だというのは、小田さんがインタビューなどで公言されてきたことです。その後に出たシングルがこれで、レコード会社は当然大反対した。いや、「さよなら」みたいな売れる曲にしてくださいと。でも、小田さんの方はこれを伝えたいんだ、これを出したいんだということで出されたシングル。個人的にもオフコースに対して1番見方が変わったのが、「生まれ来る子供たちのために」だったんですね。

1980年3月ですから70年代が終わった後。70年代は本当にいろいろなことがあって、大変なこともあったりして。でも、そこを乗り越えて新しい時代が来た。佐野元春さんとか新しい人たちが登場してきたのが1980年で、やっぱり時代が変わったと思えていたときにこういう曲「生まれ来る子供たちのために」が出た。そういう人たちと全然違うところを見ている歌が登場したと思ったんですね。オフコースってこういうバンドなんだと思ったという意味では、目からウロコの1曲でした。

音楽に対して何を託そうとしているのかがこんなにストレートに出ている曲は、当時も聴いたことなかったなと思ったんです。歌詞というより、祈り。それがそのまま歌になっている。この曲を聴いたとき、何の根拠もない中で、「あ、オフコース一生聴くかもしれないな」と思ったんですね。「あ、俺このバンドとはずっと付き合うな」と思った。その付き合い方がどうなるかは全然分かりません。僕もこんなに長くこういう仕事をしていると思っていませんし、でもオフコースは今みんなが言っていることとは違うな、ずっと付き合えそうだなと思ったのは間違えないことでもあります。今日こうやって最後の週で小田さんの話をするにはこの曲を欠かすわけにはいかないという曲を小田さんのセルフカバーでお聴きいただきます。



みんな30代になったばかりですからね。鈴木慶一さんがゲストに来られたときに、moonridersの曲「DON’T TRUST OVER THIRTY」のように“30以上は信じるな”という言葉があったと言っていましたけども、みんな長髪で。でも父親になる人たちが増えていた。私も子どもができて、こんなに世の中と折り合いがついていなくて、どうやって子どもを育てればいいんだろうとか、この子どもは将来どうなるんだろうと思い始めた時期だった。日本の未来とか考えざるをえなくなった。自分のやってきたことを見直したりする。そんな時期にこの曲を聴いたわけで、小田さんも音楽を自分の一生の仕事にしていいかどうか、なかなか答えが出ないで早稲田の建築の大学院に行って、建築を勉強してやっぱり音楽なんだということで戻ってきた。オフコースのオフっていうのは道を外れるという意味がありますからね。一度はまともな人生を外れたという意識は、彼の中でもどこかでずっとあるんだと思うんですね。それをこんなふうに祈りのように歌った。この曲が胸を打たないわけがない。〈この国〉という歌詞が浜田省吾さんの「路地裏の少年」の〈いつかはこの国 目を覚ますと〉と繋がったりもして、オフコースに対しての当時のファンの方たちが聴いていたのとは全然違う受け止め方をしたんですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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