ZZトップ(Photo by Aaron Rapoport/Corbis/Getty Images)

 
ZZトップのダスティ・ヒルが亡くなってからもうすぐ1年。彼の演奏も収められた最新ライブアルバム『RAW』のリリースを記念して、テキサスが生んだヒットメーカートリオの代表曲を振り返る。

ZZトップは、シンセサイザーをフィーチャーした楽曲がMTVでヒットする前から、そんじょそこらのブルースロックバンドとは一線を画していた。クリームやジミ・ヘンドリックスがサイケデリックカルチャーに染み込ませたエレクトリックブルースを、テキサスの埃っぽい大地へと引き戻したのがZZトップだった。ただし、元どおりの正統派という訳でもない。異世界を思わせる楽曲「Jesus Just Left Chicago」に代表されるように、フランク・ベアード(Dr)とダスティ・ヒル(Ba,Vo)のリズムセクションがミステリアスでハードなグルーヴ感を出し、ビリー・ギボンズのリードギターが次元を超えたスコールを降らせる。バンド初期のリハーサル時に「俺たちは、お互いにテレパシーのようなもので通じ合うようになった」と、かつてギボンズは語った。80年代にバンドが変身した時も驚いたが、バンドの淫らな歌詞も常に衝撃的だ。ただ、80年代初頭のアルバム『Eliminator』からエレクトロニクスを導入したことは、バンドの持つ独特なエッセンスをより引き出す結果となった。




今年7月22日にリリースされた最新ライブアルバム『RAW』は、ヒューストンのバーで演奏していた10代のブルース・バンドが、国際的なスーパースターに昇り詰めるまでのキャリアを掘り下げ、グラミー賞ベスト・ミュージック・フィルム部門にノミネートされるなど高く評価されたサム・ダン監督による2019年公開のNetflixドキュメンタリー映画「That Little Ol’ Band From Texas」のサウンドトラック。

同映画ではZZトップのクラシック・ラインナップが、テキサス最古のダンスホール「Gruene Hall」に集い、親密なセッションを行っているインタールード映像が使用されていた。『RAW』はこの時の演奏がベースとなっており、ほぼ1日で録り終えたこともあって、タイトル通りの非常に生々しい演奏が収められている。プロデューサーをビリー・ギボンズが務めた同作は、昨年7月28日に帰らぬ人となったダスティ・ヒルに捧げられ、バンドの絆の強さを見せつけるような作品となった。

米ローリングストーン誌がセレクトした以下の10曲のうち、5曲が『RAW』でも演奏されている(★印)。さっそくZZトップの代表曲を聴いていこう。

Text by DAVID BROWNE, KORY GROWBRIAN HIATTJOSEPH HUDAKANGIE MARTOCCIOSIMON VOZICK-LEVINSON


「La Grange」(1973年)★

ジョン・リー・フッカー風の軽快なリズムギターに乗った、ビリー・ギボンズ曰く「2分間の奇跡」。テキサス州ラ・グランジェに実在した老舗の売春宿「チキン・ランチ」に捧げた曲。チキン・ランチは、映画『テキサス1の赤いバラ』のモデルにもなった。「初めて訪れたのは13歳の時だった」と1986年に、ダスティ・ヒルがスピン誌に語っている。彼は、ZZトップの曲がリリースされるわずか数カ月前にチキン・ランチが閉鎖されたことに憤慨していた。「売春宿とはいえ100年も続いたのには、それなりの理由があったはずだ」—B.H.



「Waitin’ for the Bus」(1973年)

貧乏なZZトップが故郷を目指す。彼らの代表作の1枚である『Tres Hombres』のオープニングを飾るホメロス風の楽曲は、薄っぺらなサウンドで正確に刻まれるブルージーなギターリックと、手数は少ないがタイトなドラムラインで始まる。バンドのエレクトロブルース時代を予感させる曲で、ライブではギボンズとヒルが「どうかお慈悲を!(Have mercy!)」と懇願する。続いてギボンズが、ビールと残り物でしのぎながら一日中バスを待ち続けている理由を説明する。やがてバスが到着するものの、なんと「満員でぎゅうぎゅう詰め」だった。名手ジェームズ・ハーマンによるブルースハープのソロをフィーチャーした曲の終わり間際に、ZZトップのメンバーたちは、いつかキャデラックに乗ってやると誓う(彼らはアルバム『Eliminator』の大ヒットを予見していた)。「バスの車内やバスステーションでは、いろいろな人間と出会える」とヒルはスピン誌に語った(1985年)。「俺の趣味は人間ウォッチングだ。だからバスステーションや電車の駅が大好きさ。バスでは誰の隣に座るかが重要で、そいつが美味いワインを持っていたらもう最高だ」と彼は言う。『Tres Hombres』では、何事もなかったかのように切れ目なく次のバーロッカー曲「Jesus Just Left Chicago」へと続く。結果、ロードロック史上最高のワンツーパンチとなった。—K.G.



「Tush」(1975年)★

軽快で泥臭い12小節のブルースで、「多くは望まないぜ」とダスティ・ヒルが悲痛な叫びを上げる。歌詞は、アラバマ州フローレンスのロデオ競技場でのコンサート前に、サウンドチェックをしながらヒルがものの10分で書き上げた。「お願いだから俺をダウンタウンへ連れて行ってくれ。俺は“Tush”なものを求めているんだ」と歌う。ヒルは“Tush”という言葉について、「(“That’s a tush car”の歌詞に見られるような)とても豪華でぜいたくなもの」や「ニューヨークで意味する何か」としか、インタビューで説明していない。ヒルの言葉を無視すれば、正直であることと、そして崇拝と冒とくを混ぜ合わせる昔からのやり方へ新たにひとひねり加えたスタイリッシュさがポイントになる。数年後にZZトップが思いがけずMTVのスターとなった時、ローリングストーン誌のカート・ローダーが「Tush」についてさらに考察している。ローダーは「曲の意味など考える必要があるだろうか? ギターのボリュームさえ上げればいいのだ」という結論に達した。「Tush」がZZトップ初のビッグヒットとなった1975年当時は、いい時代だった。—S.V.L.



「I’m Bad, I’m Nationwide」(1979年)★

大ヒットを夢見たZZトップが1979年に自信を持って送り出したブルース曲だったが、4年後に『Eliminator』が出るまで、彼らの夢はお預けだった。それでもビリー・ギボンズ、ダスティ・ヒル、フランク・ベアードは、短いドレスを着た女たちをはべらせて「ラッキーストライクを吸い」、キャデラックで街を流しながら、自分たちほどクールな奴らはいないだろう、と胸を張る。ギボンズはギターワールド誌のインタビュー(2009年)で、「I’m Bad, I’m Nationwide」がテキサスのギタリスト、ジョーイ・ロングに捧げた曲だと語っている。ロングから借りた、ブリキでできたマンドリン風の楽器にインスパイアされて書いたという。アウトロではクラビネットの音も聴こえるが、「I’m Bad, 〜」をきっかけにベーシストのヒルは、ピアノやキーボードをよく弾くようになった。「ダスティ(・ヒル)はキーボードのユニークなサウンドが気に入ったから、鍵盤の技術を身に付けたいと考えたのさ」とギボンズは証言している。—J.H.


Translated by Smokva Tokyo

 
 
 
 

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