八神純子、“私とアメリカ”をテーマに名曲の軌跡を辿る

八神純子

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年7月の特集は「八神純子」。1978年にデビューして80年代前半、今で言うシティポップ、シティミュージックが1つのムーブメントになっていたときの立役者の一人である彼女。そんな彼女が、2022年6月24日、全米「女性ソングライターの殿堂」で日本人初の殿堂入りを果たした。パート2では八神純子本人をゲストに招き、「私とアメリカ」をテーマに自薦した楽曲やその軌跡を語る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは八神純子さん「黄昏のBAY CITY」。1983年のシングル、アルバムは同じ1983年に出た7枚目『FULL MOON』に入っておりました。今月の前テーマはこの曲です。

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2022年7月の特集は「緊急特集 八神純子」。先週は私が前説ということで、露払いをさせていただきましたが今週からご本人に登場していただきます。こんばんは。

八神純子:どうもこんばんは、よろしくお願いします!

田家:先週は収録の日に体調が……ということで。

八神:はい、すみませんコロナにかかってしまって、今だったら笑えるんですけどね。かからなければかからない方がいいんですけども、誰でもかかってしまうんだなというのが実感です。

田家:殿堂、表彰の連絡が来たときはどんなふうに思われました?

八神:連絡はメールでいただいたんですけども、正直意外でした。それと同時に賞とかヒット曲とかお金とか男の人とか追っかけちゃダメなんだなと思いました(笑)。

田家:なるほど(笑)。

八神:父が言っていたことはその通りだなと(笑)。

田家:まさかアメリカの女性ソングライターの殿堂から表彰されて、殿堂入りするなんて夢にも思わないでしょうしね。

八神:夢にも思わないですよ。今まで、ポプコンというコンテストで賞をいただいて。その賞はあまりにも簡単にいただけちゃったんですね。

田家:優秀曲賞。

八神:入賞、優秀曲賞。2つも一気にいただいて、私はそういう星の下に生まれたのかななんて思ったら大間違いで(笑)。それ以来全然賞なんていただかなくて、ここまで大きな賞は、例えばレコード大賞をもらおうって思ったこともあったんです。

田家:あ、思ったことあった?

八神:アルバム賞がほしいと思ったことがあるんですけど、それには大きな事務所に入らなきゃいけないんだみたいなこともあって。ポリティカルな部分がくっついてくるので、そういうのはやめようと思って。でも、今回の受賞に関してはポリティカルなものが一切0なんですよ。

田家:入りようがないですもんね。

八神:私が働きかけていたわけでもないですし、アメリカでアルバムを出したのは40年前ですしね。それもこの10年、日本で頑張ろうと、そして私は日本人なんだから日本語を綺麗に歌う、そんなシンガーでいたいなというそれだけだった。自分しか歌えないものを作り、ヒットも追いかけない、自分しか歌えない曲の内容も含めて。オリジナリティを追いかけてきて、夢中で走っていたこの10年。よく走ったねえって言われたような受賞でした。

田家:今週から3週間はご本人に登場していただいていろいろ話を伺っていこうと思うのですが、今日は受賞記念ということで「私とアメリカ」というテーマで曲を選んでいただきました。その中にこの「黄昏のBAY CITY」がある。あらためてお聴きいただいて、なぜこの曲を選んだのか、お話を伺いたいと思います。1983年のシングル「黄昏のBAY CITY」。

Rolling Stone Japan 編集部

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