八神純子、“私とアメリカ”をテーマに名曲の軌跡を辿る



田家:バーブラ・ストライサンドになりきって書いた曲。

八神:そうなんです。次の小節まで声を伸ばしているんですよね。伸ばしすぎなぐらい伸ばしているんですけども、バーブラ・ストライサンドの癖だったのでそのままやっていますね(笑)。

田家:歌い方を意識していた?

八神:うん、そうですね。私は自分が歌うために曲を書いていて、今も同じなんですけどね。とにかく歌いたい。それが最初に1にも2にも3にも歌いたい。そのために何をしたらいいんだろうか。たぶん曲を書くことが私をいろいろなところに持っていってくれるだろう、その順番だったので。

田家:この「ラブ・シュープリーム~至上の愛~」もシングルになっているんでしょ?

八神:今聴いていただいたのは2バージョン目なんです。最初のバージョンは歌詞も違って、映画の中の挿入歌とされたもので。やはり制作側の意図とかが全然違うんですね。映画カット、私のスタッフと全然違って。私は映画の方が大好きだったんです。

田家:あ、そうなんですか(笑)。

八神:そうなんですよ(笑)。オーケストラと同時録音したんですけどね、同録ってなかなかなくて、弦の人たちも全員入って宮川泰さんが指揮をされて録ったんですけども。それこそ、バーブラ・ストライサンドでしょ。とにかくバーブラ・ストライサンドにこの頃は憧れて歌っていました。

田家:そういう曲でした。テーマは洋楽を意識して書いた曲でした。今日、3つ目のテーマ。洋楽に負けまいと思って書いた曲」。でもずっとそうやって書いてきた曲になりますね。

八神:そうですね。ほぼ本当に洋楽に負けない、洋楽みたいな曲を書こうと思って。

田家:あえてこういう課題、「洋楽に負けまいと思って書いた曲」に選ばれた曲が何かはご本人から発表していただきましょうか(笑)。

八神:いろいろな意味で負けまいと思った意味が、この「みずいろの雨」の中には入っているんですけども。まず最初にこの曲がなかったら私はたぶんレコード会社からもクビになって、事務所からもクビになっていただろうな(笑)。もう名古屋に帰れって言われたんで。

田家:あ、そうだったんですか?

八神:そうなんですよー。未だに誰に言われたかもしっかりと覚えていて、状況も覚えてる。

田家:顔が浮かびましたけど、何人か(笑)。

八神:はい! 放送終わったら教えますけども(笑)。負けたくないということで「みずいろの雨」を書いたというのと。あとは洋楽と言っても、ラテン音楽が大好きだったんです。

田家:だって高校3年生のときはチリ音楽祭なわけですもんね。

八神:そうなんです。で、セルジオ・メンデス、バーブラ・ストライサンドとセルジオ・メンデス、全然世界が違うんじゃないかなんですけど、セルジオ・メンデスが大好きで。なので、ボサノバとかそういうリズムばかり書いていたんです。

田家:「雨の日のひとりごと」もそっち寄りですもんね。

八神:はい、そうです。何かともうボサノバ、ボサノバって。「みずいろの雨」もボサで書いたんですけど、アレンジをする時点でこれはサンバにしようよということになって、サンバになったんですけどね。

田家:そのアレンジは大村雅朗さんです。

八神:はい。そのボサノバを歌ったり書いたりというのは、誰にも負けない自信があったんです。というか、すごく理解してるって思い込んでいて。私はもしかしたら南米に生まれることになっていたのかもしれないって信じちゃっていた(笑)。南米のチリに10代最後に行ったんですけど、これもたまたまじゃなくて運命だったんだろうと思ったんです。

田家:導かれるように行った。

八神:はい、そうなんです。

田家:なるほどねー。そういうことも含めて負けない。

八神:これは誰にも負けないと思って、「思い出は美しすぎて」も書きましたし、「みずいろの雨」も書きましたし。

田家:「洋楽に負けないと思って書いた曲」。1978年の5枚目のシングル「みずいろの雨」。

Rolling Stone Japan 編集部

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