八神純子、“私とアメリカ”をテーマに名曲の軌跡を辿る



田家:先週ちょっとお話したんですけども、ソニーの松田聖子さんのディレクターが大村雅朗さんの名前を知ったのは八神純子さんの仕事でだったと話をしているんですよ。

八神:そうだったと思います。

田家:八神さんと仕事をするようになったとき、彼は脚光を浴びる前ですもんね。

八神:これからというアレンジャーがいるから、1回仕事してみようよということになって紹介していただいて。で、この「みずいろの雨」が大ヒットになったのでお互いにとってすごい出会いだったんですよね。

田家:大村さんがいなかったらこういう曲にならなかった点はあるんですか?

八神:もちろんです。大村さんとの出会いがあったので今日の八神純子がいるんだって、私は思ってる。

田家:サンバホイッスルはどちらだったんですか?

八神:「思い出は美しすぎて」のときから使っていたんですけど、「スター誕生」の映画を観に連れていってくれたプロデューサーが「サンバホイッスル入れようよ」と。でも、サンバホイッスルなんてレコーディングスタジオになくて。体操の先生とか警察官が吹く普通の笛ありますよね。実は、あれを使ったんです(笑)。

田家:なるほどね(笑)。この曲があって、負けまい、負けなかったということで今の八神さんがあるという1曲でもあります。で、80年代に入って、1986年に結婚されてアメリカに移住されるわけですね。さっきもお話した洋楽は必ずしもイコールアメリカではなかったところがあったんじゃないですか。

八神:うん。私は自分が洋楽志向だったというところから、「あ、これ本物じゃなかったな」と思ったところがあったので。洋楽ってほとんどコード進行というか、コードの数がないんですよ。1曲の中で使われているコードの数って、今の音楽はちょっと変わってきたんですけども、その頃はグルーヴで持っていっていたので限られたコードの数で、展開は何でされているかと言ったらボーカリストの力だった。例えば、スティービー・ワンダー。彼なんてワンコードでも全然展開していける。グルーヴとボーカルの力だと思うんですけども。なので、私にはコードの数がある程度必要だなと思ったときに洋楽志向だなんて言っていたのは間違いだなと、だんだん気がついてくるんです。やっぱり日本人でありながらアメリカのポップスに憧れて、そこからもいろいろ吸収をして、曲を書き、歌っていこうと思い始めたのがちょうどこの頃です。

田家:当時、1985年、1986年結婚されて向こうに行かれるときは、レコード会社がアルファムーンでアルバムが3枚出ていて、『COMMUNICATION』、『純』、『ヤガマニア』。アルファムーン時代はどんなふうに思い出すんですか?

八神:このときはとにかく私がほとんど人の音楽を聴かなくなってました。

田家:必死だった、夢中だった。

八神:オリジナリティを追いかけ続けていて、流行っている音楽とか聴かない方がよかった。それに惑わされないように、自分に合ったメロディって何なんだろう。声と曲とのマッチングだけじゃないのかなと私はその頃に思っていたので。この3枚はアルファムーンレコードで出したものなんですけど、大好きで。『COMMUNICATION』は今、海外でも人気があるアルバムになっているんです。

田家:あらためてアルバムを見ていて、こんな曲があったんだと思ったのは「ジョハナスバーグ」。こんなことを歌っていたんだと思いました。人種差別を。

八神:人種差別を歌にして、レゲエでやっているんですけども今もすごく好きな曲、今も歌っているんですけどね。これは自信を持っておすすめできる曲です(笑)。

田家:アメリカの音楽関係者の方たちはこの頃のアルバムを聴いたりしているんですよね。

八神:聴いていると思います。授賞式でも『COMMUNICATION』が流れていましたね。アメリカのティーンの男の子が『COMMUNICATION』を買ってくれた動画をYou Tubeで流しているんですよ。「日本のJunko Yagamiの買ったんだぜ、今日届いたんだぜ、これから開けるから見てろ」とか言って、You Tubeでパッケージを開けるところからちゃんと見せていて。思わずうれしくなったので「Thank you for buy my Album」ってコメントを載せたんです。そしたら、「え!? 本当にJunko Yagami!?」ってすぐその若者から返事が来て、「そうそう、私、私。ありがとう!」って言ったらすごい喜んでくれて。

田家:日本ではこの頃が1番、なんて言うんでしょうね、自分の場所がなかなか見つけられない時期のようにも見えてました。

八神:この頃からアルバムの売れ具合も良くなくて、コンサートもなかなか人が入らなくなった。ただ、私にしてみたらここを通らないとダメだと思った道だったんですね。

田家:その中で次のテーマ、課題というのは「洋楽に勝ったと思えた曲」、「向こうに行ったから書けた曲」。選ばれたのはこの曲ですね。1992年のアルバム『Mellow Cafe』の中の「Eurasian」。

Rolling Stone Japan 編集部

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