八神純子、“私とアメリカ”をテーマに名曲の軌跡を辿る

Eurasian / 八神純子

田家:この曲を書かれたときのことは覚えていらっしゃいます?

八神:よく覚えています。私の書く曲はサビが高いところに行く、1番盛り上がるのがありがち。私だけじゃなくて一般的にそういうものなんですけど、アメリカに行って「なんだ、サビが全然盛り上がらなくてもいいんじゃないか、高いところに行かなくてもいいんじゃないか」と。キャッチーで耳に残るもの、それがサビであるべきだと考えが変わったんです。ですから、この曲で初めてと言っていいくらいサビで盛り上がらない。

田家:でもスケール感がある。

八神:はい。そういう意味で向こうに行って、いろいろな曲を聴きながら自然に脳の中にはいろいろなアイディアが入っていくわけですから、その中で生まれた曲だったと思います。

田家:ユーラシアもテーマになっていたんでしょ? ユーラシア大陸、Eurasianという。

八神:そうですね。子どもたちがユーラシアンだったので、実はそこからユーラシアンをいつか書きたいなと思っていたんです。

田家:アメリカ人でもないし、日本人でもないし、イギリス人でもないしみたいな。

八神:ユーラシアン。

田家:『Mellow Cafe』は名作アルバムだなと思っておりますが、これは向こうに行ったから書けた曲そのものということになりますね。

八神:あとはこのピリオドからアレンジもやるようになったので、全然前とは違った音楽の作り方をしていました。

田家:向こうに行かれて、1987年から1994年までアルバムが6枚、向こうでの生活も含めてだんだん日本では情報が入ってこなくなった時期でもあるわけで。その頃はどういう人間関係の中で仕事をされたりしていたんでしょう。

八神:アメリカで向こうのミュージシャンにお願いをされて、アルバムの中でゲストボーカリストとして歌ってくれという仕事をやっていたり、あとバッキングボーカルの仕事がすごい勉強になりましたね。別にギャラがいいわけでもなんでもないんですけど、むちゃくちゃ勉強になりました。

田家:いろいろなタイプの人たちとやるわけですもんね。

八神:そうなんです。そのときに私がボーカリストとして吸収したものが今かなり役立っています。

田家:そのときに日本のシーンは見えたりしていたんですか?

八神:全くなかったです。

田家:頭から消えていた?

八神:英語を勉強したい気持ちもあったので、まず日本には年に1回も帰ってませんでしたからね。アメリカにいる日本人はしっかりと日本人社会の中で生きている方たちが本当に多いんです。ですから、日本にいるかのような生活ができる。特にロサンゼルスなんて食材に関しても日本の大きなスーパーがあるので、なんでも手に入るし、テレビも日本のテレビ番組が観れますし。私の場合は、全くそういうところから離れた生活をしていたので、その頃の私の動画を観ると完全にアメリカ人ですよね。

田家:なるほど。次のテーマで選んでいただいたのが、「向こうで褒められた曲」。向こうの人たちにとっての純子さんは日本でスターだった人とは思ってない?

八神:音楽業界、ミュージシャン仲間の中でそれはありました。でも、子どもたちの学校行事とかに行くと、それは全くないわけで、お母さんは元シンガーだったみたいなそのぐらいの感じで(笑)。

田家:この曲はどんなふうに褒められたのか、曲の後にお聞きいただこうと思うのですが、「向こうで褒められた曲」。1983年のアルバム『FULL MOON』の1曲目「Follow Me」。

Rolling Stone Japan 編集部

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