麻薬密売にすべてを捧げた「無名の男」、娘が記した波瀾万丈の生涯 米【長文ルポ】

Illustration by Mark Smith for Rolling Stone

今日の麻薬密売システムの構築者のひとりであるダン・マクギネスは、1970年代から80年代にかけて絶大な影響力を誇る一方、投獄と脱獄を繰り返した。そんな彼の人生を、実娘のクリステン・マクギネスの手記で振り返る。

【画像を見る】かつての父と娘

米ニューヨークのクイーンズにあるダイナーの駐車場に入ると、黒塗りのキャデラックの運転手はエンジンを止めた。50年代に建てられたダイナーの建物は、雨の日にしか現れない幻のように現実感に乏しい。石張りの外観は、まるで過去から飛び出してきたかのようだ。私は車から降り、1983年に父が捕まった場所を見上げた。連邦刑務所から逃げ出した父は、このダイナーで逮捕されたのだ。2年間の逃亡生活の果てに、父は長年来の愛人とここで朝食をとったあとに連邦保安官たちに取り押さえられた。その当時、父は南米コロンビアから新たな積み荷を手配し終えたばかりだった。あくまで私の想像だが、あの日もきっと雨が降っていたにちがいない。父の逮捕から40年がたったいま、私は10年近くにわたって70年代の大麻売買の最重要人物である父を追い続けてきたDEA(米麻薬取締局)の元捜査官とここで落ち合う。彼が追い続けた人物の名はダン・マクギネス——かつて私が「パパ」と呼んだ男だ。

配車アプリで手配した車が滞在先のホテルの前で停車したときは、ただ笑うしかなかった。黒いキャデラック——最後に会ったあの日も、父は黒いキャデラックを運転していた。あの日、父はアリゾナ州フェニックスから私がいるカリフォルニア州ロサンゼルスまで車を走らせた。クイーンズのダイナーで逮捕されたあと、父は25年余りの服役を経て釈放された。それからまだ一年もたっていなかった。父は慈しむように車の後ろを軽く叩き、にんまりと笑った。「キャデラックは最高だな」と言う。「ものを隠すスペースには事欠かない」。63歳になった父は——その半分近くの歳月を刑務所で過ごした——自らの手で築き上げたゲームに復帰しようとしていた。そのゲームとは、「スマグラーズ・ハイウェイ」と呼ばれる、アリゾナ州とメキシコ・ソノラ州の両方にまたがるノガレスという街とフェニックスを結ぶルートを使って、メキシコから大麻を密輸することだ。本人から聞いた話によると、父は1967年に自らの手でこのルートを開拓したそうだ。私は、ダイナーの席で待ち人を待っていた。ふと顔を上げると、DEAの元捜査官が近づいてくる。父と同様に、元捜査官のデイヴィッド・ホイトも年を取った。いまではそれなりのお年だ。ホイトは、70年代のほとんどを父との“鬼ごっこ”に捧げたというのに、父には愛着を感じているようだ。腰を下ろすと、元捜査官は「誰よりも彼のことを知っているような気がします」と言って微笑んだ。

いろんな意味で、私はホイトの言うとおりだと思う。だが、父の仕事仲間や父が愛した女たち、父を捕まえた捜査官たちにインタビューをするようになってからというもの、私はある事実に直面した。ダン・マクギネスという人物は、断片的にしか知られていないのだ。彼のすべてを知っている人物なんて存在しない。もちろん、実の娘である私でさえ、父のすべてを知っているわけではない。

Translated by Shoko Natori

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