麻薬密売にすべてを捧げた「無名の男」、娘が記した波瀾万丈の生涯 米【長文ルポ】

営業マンとして働き続けるか? 生産手段を支配するか?

「ダッチ」の愛称で呼ばれる元仲間のジェリー・ヴァン・ヴィーネンダールは、次のように話す。「楽しいのは密輸で、売るのはきつい汚れ仕事だった。それでも、飛行機や船を使う点は普通のビジネスと同じだ。問題は、営業マンとして働き続けるか? それとも、生産手段を支配するか?なのだ」

当然ながら、父とヒルは生産手段を支配したいと考えた。メキシコとの国境を目指して南下したふたりは、友人を介してメキシコのティファナ郊外の栽培者とつながった。「当時、あれだけの大麻を運べる連中は数えるほどしかいなかった。衝撃的な量だった。俺たちは、あの量を1カ月以内に現金化した。手応えを感じた。俺たちは、需要と供給という経済学を学んでいたのだ」と父は回想録に綴っている。


タイヤを使って大麻を運ぶイメージ図(Illustration by Mark Smith)

ティファナの運び屋たちは、あることに着目した。トラクターのタイヤに大麻を詰め込めば、タイヤは浮いてボート代わりになる。プロペラの代わりに人間が泳げば、前進も可能だ。父は、子供の頃から水泳が得意だった。12歳になると、はやくもロングアイランド湾横断に成功していたほどだ。そんな父でも、初めてタイヤを使って大麻を運んだときは相当きつかったと当時を振り返る。「海水は冷たいし、夜中だから真っ暗だ。それでも、諦めるわけにはいかなかった」

父の元愛人のスーザン・グリーンバーグは、次のように話す。「(メキシコの)プエルト・バヤルタのビーチに家を借りたことがありました。ダンは、ダイビングフィンをつけずに泳いだり、スピアフィッシングに行ったりしました。何よりも海を愛していたんです」

メキシコ人たちは、この米国人密輸業者の扱いに困った。だが、父が10マイル(約16キロ)の距離を泳ぎ切ってティファナ・スラウの米国側に見事到達すると、彼らは父に敬意を払うようになった。2010年、私は付き合いはじめたばかりの人——私の未来の夫で、マクギネスの孫の父親となる男性——と一緒にティファナ・スラウを訪れた。そこには何もなく、浜辺に打ち捨てられたトラクターのタイヤがひとつだけ横たわっていた。

その後、麻薬の密輸方法はより複雑になったものの、法執行機関が「ウィード・ホイール」と呼ぶこの方法は、現在も頻繁に使われている。だが、真夜中にメキシコ国境を泳いで越えた父とヒルは、もっといい方法があるはずだと確信した。

「当時、アリゾナ州は盲点とも言うべき場所だった」と元密輸業者のマイク・スチュアートは話す。スチュアートは、メキシコ時代の父を知っている。「多くの人が60年代後半に南を目指したが、そのなかでも最初にメキシコに目をつけたのがダンだった」

薬物の輸入量をたどることは恐ろしく困難だと言われている。それでも、2021年の調査によると、60年代から70年代にかけての大麻の輸入量の割合は、薬物の総輸入量の0.1%未満から3%近くにまで増加したと予測される。これは、たった10年で3000%以上増加したことになる。実際、1970年の大麻の輸入量の割合は、2017年までどの年よりも高かった。

Translated by Shoko Natori

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