麻薬密売にすべてを捧げた「無名の男」、娘が記した波瀾万丈の生涯 米【長文ルポ】

ソノラの州刑務所

「あそこは、密輸業者を養成する高等教育機関のような場所でした」とホイトは言う。

ソノラの州刑務所は、映画の世界から飛び出してきたような場所だった。父曰く、そこには作家のケン・キージーや心理学者のティモシー・リアリーといった著名人が面会に訪れたのだ。刑務所の名物は、何と言っても自家製のLSD。当時は、受刑者だけでなく、看守までもが自由にLSDを摂取していた。父はここに2年いたのだが、そこで彼は地元の女性と出会った。刑務所には夫婦面会制度(訳注:受刑者が数時間から数日間、配偶者と個別に過ごすことが許される制度)があったため、女性は父の第一子を身籠った。その子は「エルネスト」と名付けられたが、彼の消息については何も知らない。

ソノラの州刑務所で父と知り合った元密輸業者のマイク・スチュアートは、次のように話す。「米国の刑務所とはまったくの別物だ。ソノラの州刑務所は、塀を除けばごく普通の町なんだ。店もあれば、家族もいる。パーティもドラッグもある。ダンがそうだったように、俺も(ワシントン州の)レブンワースの刑務所にいたことがあるが、そこと比べるとソノラの刑務所はバカンスのように楽しかった」

いくら楽しくても、刑務所は刑務所だ。2年近く服役した父は、そろそろ家に帰りたいと思った。これについては、父の頭のなかには複数のバージョンが存在しているようだが、そのなかでも一番よく話してくれたエピソードがある。父は、旧友ヒルにある計画を持ちかけた。父のお気に入りのバージョンによると、父は看守を買収し、刑務所の外にある病院に連れていってもらえるようにと看守にわざと暴力を振るわせた。2週間の入院生活が開けると、ヒルは父の病室の外に藁を敷き詰めたトラックで乗り入れた。父は病室から抜け出し、ふたりは国境へと向かった。

父の元愛人のグリーンバーグは「ダンは、フーディーニ(訳注:ハリー・フーディーニ、脱出王と呼ばれた19世紀末の伝説のマジシャン)のような人でした。脱獄を試みた回数を見ても、彼の右に出る者はいないのではないでしょうか。彼は、どんな場所からでも逃げ出すことができました」

しかし、米国に戻った父とヒルは窮地に立たされた。ふたりはネットワークを作り、かつてないほどこのビジネスを熟知していたにもかかわらず、善良な白人の旅行者、伝道師、建設業者として気づかれずに活動するという強みを失っていたのだ。ふたりとも20代後半に入っていた。いまさらメキシコに戻ることもできない。

そこで彼らは、米国で居場所を失った若者たちの例に漏れず、地元に帰った。だが、コネチカット州では父に対して令状が出されていた。「逃げるのに疲れた」と父は言った。父は2年間服役し、その間ヒルはのらりくらりと生活しながら、父の出所を待った。1974年、父は晴れて自由の身となり、ヒルと再会した。こうしてふたりは、ノガレスで立ち上げ、そして失ったビジネスの再建に着手した。

父の服役中、ヒルはフェアフィールド郡の高級住宅街のプライベートプールの清掃員として働いていた。そこでヒルは、家のオーナーのひとりであるヴァン・ヴィーネンダールと知り合う。いまも「ダッチ」という愛称で親しまれている彼は、ドライクリーニング店を経営していた。ヒルは、ダッチの家の規模とドライブウェイの車の数を見て、彼のドライクリーニング事業がマネーロンダリングの手段であることを見抜いた。それに加えて、ダッチの妻がコロンビア出身だと知ると、ヒルの好奇心は掻き立てられた。

「法律上の問題に直面するまで、ダンと一緒にメキシコからいろんなものを輸入していたとジム(・ヒル)から聞いていた」とダッチは言う。「彼らが何を輸入していたか、すぐにピンときた。そこで、パートナーシップの可能性を考えたんだ」

ヒルはすぐにダッチを父に紹介した。こうして新たな計画が誕生した。

Translated by Shoko Natori

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