麻薬密売にすべてを捧げた「無名の男」、娘が記した波瀾万丈の生涯 米【長文ルポ】

メキシコからコロンビアへ

ダッチ曰く、コロンビア産大麻の密輸は、同地出身の兄弟がメキシコの大学に通ったことをきっかけにはじまった。彼らは、メキシコで「アカプルコ・ゴールド」と呼ばれる在来種の大麻株を発見した。アカプルコ・ゴールドは、はるか昔から原産地であるメキシコに自生する大麻の原種だ。兄弟はアカプルコ・ゴールドを母国コロンビアに持ち帰り、同地で栽培した。その数年後、アカプルコ・ゴールドはコーヒーや米、タバコといった生産物と一緒に栽培されるようになった。彼らは、この品種を「サンタマルタ・ゴールド」と命名した。

元DEA捜査官のホイトによると、コロンビアの密輸業者は、主に地元の栽培者からなる独自のネットワークを形成していた。父が最後に捕らえられたクイーンズのダイナーのテーブルにつきながら、ホイトは父のパイロットが初めてコロンビアを訪れたときのエピソードを振り返った。「パイロットのケニー・クヌーセンは、コロンビアの太平洋側に行くようにとダンに指示されたそうです。そこまで行ったら左に折れて、滑走路が見えるまで30分間南下しろと言われていました」

だが、クヌーセンが滑走路に着陸すると、そこには誰もいなかった。数分後に地元の人々がジャングルの中から姿を現した。手には銃や槍を持っている。クヌーセンは、彼らのリーダーに「何の用か?」と訊かれた。ホイトは話を続けた。「ケニー(・クヌーセン)から聞いた話によると、大麻を取りにきたと言った瞬間、全員が手のひらを返したようにフレンドリーになりました。取引相手はもっと南の滑走路にいるけど、ここにも大麻はあるから大丈夫だ、と言われたそうです」

当時のコロンビアの大麻市場は、カルテルではなく、協同組合として機能していた。地元の栽培者が生産品と利益を共同で利用し合っていたのだ。ホイトによると、組合の関係者たちは毎月顔を合わせては収益を山分けして、負債を返済した。だが、コロンビアと米国内の空港を行き来することは、ティファナの最盛期と同じくらい危険だった。とうとうクヌーセンは、地域航空便が発着するコネチカット州の空港でDEAに逮捕された。父とヒルは、米国沿岸警備隊に怪しまれずに中米を往復するルートを見つけなければならなかった。飛行機という選択肢がない以上、残されたルートはひとつしかない。パナマ運河を経由して、カリブ海から運ぶのだ。

1974年当時、マヌエル・ノリエガはまだパナマ共和国のトップの座にはついておらず、国家警備隊の司令官として国に仕えていた。だが、ダッチ曰く、ノリエガは最高司令官就任後も傀儡にすぎなかった。「パナマの真の黒幕は、オマル・トリホスでした」とダッチは話す。ノリエガよりも先に最高司令官を務めたトリホスは、中南米で足止めされた大麻の存在と、その鍵を握るパナマ運河に目をつけた。

メキシコ時代と同様に、父は関係者に連絡を取りはじめた。その結果、父は当時の最高司令官であるノリエガ本人と顔を突き合わせることになる。FBIの元支局補佐のガルシアは、次のように話す。「ノリエガを捕まえたとき、彼と直接コンタクトを取ることができる唯一の目撃者がダンでした。ダンはノリエガに現金10万ドルを手渡したことがあったため、反証第一号として法廷に立たされたのです」

Translated by Shoko Natori

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