吉田拓郎の前例のない音楽人生、レコード会社社長から“いちアーティスト”に戻った30代



FM-COCOLO J-POP LEGEND FORUM、アーティスト活動に終止符を打つと表明した吉田拓郎さんの軌跡をたどる5週間、今週は、Part 3。流れてるのはこの番組のテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

改めて辿り直していて、やっぱり前例のない音楽人生だったなと思ったりしております。例えば、字あまりソングとか、コンサートツアーとか、野外イベントとか、レコード会社の社長とか、それまで誰もやったことのないことをやりながらキャリアを重ねてきた。29歳でフォーライフレコードを作ったときに、記者会見がありまして、正確な言葉を忘れてしまったんですが、「これで普通の30代になれるかもしれない」って言ったような記憶があります。ミュージシャンでずっと生きていっていいんだろうか。こんなふうに音楽をやってきた人間が、普通の30代になれるだろうかと思ったりもしたんでしょうね。社長とアーティストの二足の草鞋を履いた時期を経て、36歳で1アーティストに戻りました。

例えば「70年代の思い出の曲」とか「懐かしのなんとか」というリクエスト番組とかランキング番組をやると、 拓郎さんの曲が入らない。つまり、代表曲がこれと簡単に決められない。例えば、この人だったらこの曲という分かりやすい例はあると思うんですけど、それがバラバラ。もっとスケールが大きい。底辺が広いということがあって、拓郎の曲入ってないじゃんって結果になったりするんですね。

冒頭で、今月の前テーマでお聞きしていただいてる「アウトロ」で、「言葉なんかに 変えてみても 伝わる何かあるじゃない」と歌っているんですが、振り返って語ることを、したくもないんでしょうし、なかなかできないんだと思うんですね。その都度その都度、できるだけのことをやって、次に行こうとしてきた。そういう積み重ねなわけですから、あのときこうだったと今語ってどんな意味があるんだっていうのが、今の心境でもあるのではないだしょうか。

30代後半に拓郎さんの前、そして当時の若者たちに立ちはだかっていたのが、40歳という年齢です。ジョン・レノンが亡くなったのが1980年40歳。どんな40代を迎えるかというのが、来週のテーマでもあります。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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Rolling Stone Japan 編集部

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