スナーキー・パピーが語る原点回帰、21世紀のアメリカ音楽を塗り替えたダラスの重要性

スナーキー・パピー(Photo by Francois Bisi)

「進化を示しつつも、あの頃のスナーキー・パピー(Snarky Puppy)が帰ってきた!」と言ったら本人たちに怒られるかもしれないが、僕はニューアルバム『Empire Central』を聴いてそう思った。

これまで13枚のアルバムを発表し、グラミー賞を4度獲得してきたスナーキー・パピー。彼らはずっと変化し続けながらチャレンジしてきたグループだ。

デビューから様々な試行錯誤を続け、最初に大きな評価を得たのが2013年の『Family Dinner Vol.1』。1曲ごとに異なるボーカリストをゲストに呼び、伴奏をスナーキー・パピーが担当するこのシリーズが画期的なのは、すべてがスタジオ・ライブ録音で、その模様が映像でも記録されていること。パフォーマンスの生々しさが視覚的に補完され、音源の魅力が何倍にも跳ね上がったのも成功の理由だった。レイラ・ハサウェイとコラボした「Something」はグラミー賞のベストR&Bパフォーマンスを受賞。同曲の映像がYouTubeで拡散されたことで、彼らの知名度は飛躍的に向上した。



スナーキー・パピーは翌年の『We Like It Here』でも有観客スタジオ・ライブ形式を踏襲。バンドメンバーだけでなく、観客の反応がこのレコーディングを特別なものにしていたのは、コリー・ヘンリーのソロ演奏が世界を驚かせた「Lingus」の動画を見ればわかるだろう。その後、2015年の『Sylva』、2016年の『Family Dinner Vol.2』も同様のかたちで制作しているように、この手法はスナーキー・パピーの方法論として定着していった。



そこからグループは変化を求め、2016年の『Culcha Vulcha』、2019年の『Immigrance』ではスタジオ・レコーディングを追求し、ポストプロダクションも駆使するようになる。その頃のマイケル・リーグは自身のソロ作やベッカ・スティーヴンス、アタッカ・カルテットらのプロデュースを手掛けており、プロダクションにもこだわっていた時期だった。

そういった試行錯誤を経て、前作から2年ぶりに発表したニューアルバム『Empire Central』では、再び有観客ライブ・レコーディングを敢行。彼らのルーツであるテキサス州ダラスのイベントスペースで録音を行い、その一部始終を動画に収めた本作には、「世界最高の即興音楽集団」の魅力がたっぷり詰まっている。



ノーステキサス大学に通っていた若き日のメンバーは、グループの結成前からダラスのシーンで腕を磨いてきた。そこでは多くの交流が生まれ、その後の成功に直結するような経験がもたらされたという。この最新作を通じて地元のシーンに感謝を捧げることで、結果的にスナーキー・パピーは活動初期の感覚を取り戻しつつ、核の部分をさらにアップデートさせている。

そこで今回、中心人物のマイケル・リーグに取材することになったとき、彼が考える「ダラス性」をひたすら聞き出すことにした。そうすることで、ダラスのシーンがアメリカの音楽文化に果たしてきた役割を提示できると思ったからだ。ダラスのシーンを抜きに21世紀以降のアフリカン・アメリカンの音楽は語れない。そして、マイケルの証言は、スナーキー・パピーの本質を捉えるための大きなヒントになるはずだ。


マイケル・リーグ(Photo by Brian Friedman


―新作のテーマを「ダラス」にした理由から聞かせてください。

マイケル:ダラスはスナーキー・パピーに最も大きな影響を与えた場所だ。グループとして世界中をツアーするようになると、自分たちの出発点のような場所のことを忘れてしまうことも多い。でも、僕らはそれを忘れたくないって気持ちがこのアルバムには込められている。ダラスはもっとリスペクトされてしかるべきミュージシャンたちが住んでいる町でもある。ダラスで活動して、ダラスで成長したことで、僕らはスナーキー・パピーのサウンドを獲得することができた。それを示すことで、街への敬意を表したかったんだ。

―テキサス州でいうと、ナッシュビル、オースティン、ヒューストンなども音楽が盛んな街ですよね。そのなかでダラスはどんなところが特別だと思いますか?

マイケル:テキサスは州自体が文化的にも豊かだし、そもそも大きいんだよね(アラスカ州に次いで全米第2位の面積)。そして、それぞれの街に伝統的に深い歴史がある。僕らにとってダラスが特別なのは、ダラスに近い(テキサス州北部のデントンにある)ノーステキサス大学に通っていたことがひとつ。それから、ダラスのユニークな音楽シーンがあってこそ、スナーキー・パピーが出来上がったということ。

ダラスのシーンは、ジャンルにこだわらないところがある。特にブラック・アメリカンの音楽がすごくて、日曜日に教会で演奏していたミュージシャンが土曜日にはヒップホップをやっていて、同じ人たちが月曜日にはジャズを演奏し、火曜日にはファンクをやっていたりする。そういう姿勢が許される場所だった。だから、ブラック・アメリカンの音楽史を理解するためにはすごくいい場所だったと思う。音楽を広く理解できるからね。スナーキー・パピーが「これはジャズ、これはファンク」と分けるんじゃなくて、広い視野で音楽を捉えることができるようになったのはダラスのシーンの影響だと思うよ。



―ダラスのシーンで、特にディープな部分はどんなところですか?

マイケル:僕は(当時)3、4年くらいダラスに住んでいたんだけど、その間にブラック・チャーチの伝統に触れることができたのは大きかった。アメリカでブラック・アメリカンのミュージシャンに話を聞けば、最初に音楽を聴いたのも最初に演奏したのもチャーチだっていう人が多いと思う。彼らの音楽を形作っているブラック・チャーチを僕も経験できたのはものすごく大きな経験だったよ。

それに僕は、ダラスのいろんな場所で演奏する機会に恵まれた。それによって子供の頃から聴いていたエリカ・バドゥ、カーク・フランクリン、フレッド・ハモンド、ロイ・ハーグローヴ、マーカス・ミラーなどと実際に交流することができたし、そのコミュニティの一部になれたことも大きかったよね。

―ちょうど名前が挙がりましたが、ダラスはカーク・フランクリンやフレッド・ハモンドといったコンテンポラリー・ゴスペルの大物を輩出しています。彼らをサポートする敏腕ミュージシャンもダラス出身者が多い。それはなぜでしょう?

マイケル:ひとつはブラック・アメリカンのコミュニティがあって、黒人のコミュニティも音楽のコミュニティも強いこと。あと、学校の力もあると思う。ダラスにあるブッカー・T・ワシントン高校では、ショーン・マーティン、ロバート・スパット・シーライト(共にスナーキー・パピーのメンバー)や、エリカ・バドゥ、ノラ・ジョーンズ、ロイ・ハーグローヴが学んでいる。みんなそこから出てきたことを考えると、そもそも才能豊かな人たちがいるうえに、それを磨く場所があることが大きいんじゃないかな。

Translated by Kazumi Someya

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