マイルス・デイビス「越境と更新の80年代」を再検証 柳樂光隆と当時のディレクターが語る

マイルス・デイヴィス、1981年撮影(Photo by Chuck Fishman/Getty Images)

 
マイルス・デイビス(Miles Davis)が残した膨大な未発表音源を、時代ごとにテーマを設けて発掘してきた“ブートレグ・シリーズ”も、早いもので第7集。2011年から11年続いてきたこのシリーズは、50/60/70年代を経て、最新作『ブートレグ・シリーズVol.7 ザッツ・ホワット・ハプンド1982-1985』で、いよいよ80年代へと突入した。同作の発売を記念した試聴会&トークショーが、10月4日(火)に御茶ノ水のCafe,Dining & Bar 104.5にて開催。ジャズ評論家・柳樂光隆が登壇して、興味深いレア音源を高音質のアナログ盤で再生しながら会はスタートした。



ロック、ファンクの影響下で大胆に進化を続けた“エレクトリック・マイルス”期の絶頂にありながら、体調の悪化が進んで活動を休止、長い沈黙に入った70年代後半のマイルス。活動を再開する1980年になると音楽シーンの様相もすっかり変わっており、81年の復帰第一弾となるスタジオ録音作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』では、マイク・スターン、マーカス・ミラーなどクロスオーバー/フュージョン系のミュージシャンを招集。それまで多用してきたワウ・ペダルの使用をやめる一方、80s R&Bの洗練されたサウンドも取り入れ始める。

81年10月の来日公演を収めたライブ盤『ウィ・ウォント・マイルス』(82年)の後、続けて制作された『スター・ピープル』(83年)、『デコイ』(84年)、『ユア・アンダー・アレスト』(85年)のセッションで生まれた未発表曲を、一挙お蔵出ししたのが『ザッツ・ホワット・ハプンド1982-1985』。コロムビア・レコード在籍時末期のマイルスが、どんな表現に到達しようとしていたのかを示す、貴重な手がかりと言える。


『ブートレグ・シリーズVol.7 ザッツ・ホワット・ハプンド1982-1985』


左から『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』、『ウィ・ウォント・マイルス』、『スター・ピープル』、『デコイ』、『ユア・アンダー・アレスト』

柳樂は本作収録のレア音源について、「マイルスがやりたかったことと、やりたくなかったことがわかる」と説明していたが、それは本作と、各アルバムで採用された“完成版”とを聴き比べることでより明確になる。様々なアプローチを試しながら模索を続けていた時期だからこそ、「別バージョンをたくさん聴くことで、完成版として世に出たバージョンの良さがわかる」という言葉も腑に落ちる。

この日のリスニングで最初に選ばれた曲は、『ユア・アンダー・アレスト』セッションで録られた「タイム・アフター・タイム」のオルタネイト・テイク。当時の注目新進ポップ・シンガー、シンディ・ローパーの全米No.1ヒットを取り上げたものだ。柳樂が「アル・フォスターのドラムは、ほぼメトロノーム」と指摘していた通り、この時点でのリズム・アレンジは原曲をまんまなぞっただけで、8ビートが前面に出ている。これが『ユア・アンダー・アレスト』バージョンだとリズムギターの“裏”が強調され、レゲエっぽいニュアンスが出てくるのだが、柳樂いわく「マイルスのトランペットのソロだけはほとんど完成版と変わらなくて、もうかなり前の段階でマイルスだけが自分のやることを把握している」。確かに、ジョン・スコフィールドによるギターソロはまだ確信が持てていないのか、フワッとした感じで終わるのだが、それとは対照的にマイルスのソロは曲想をはっきりと見据えているように感じる。




2曲目は、82年10月の『スター・ピープル』セッションで録られた「マイナー・ナインス」のパート2。マイルスはトランペットではなくキーボードを弾いており、久々の共演となるJ.J.ジョンソンがトロンボーンでマイルスに寄り添う、2人きりのトラックになっている。マイルスが取り組んできたアンビエントな表現を、敢えてこの小編成で拡げられないかと手探りしているような曲。素描も素描、はっきりと像を結ばないまま終わってしまう5分にも満たない演奏だが、動的な楽曲が多く並ぶ『スター・ピープル』で、こんなアプローチも探っていたのかと驚かずにいられない貴重な記録だ。『スター・ピープル』はテオ・マセロがプロデュースした最後の作品になったが、「マイナー・ナインス」もテオ独特の編集が加えられていたら、まったく違う印象の曲になったかもしれない。



 
 
 
 

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