アークティック・モンキーズはどこへ向かう? No Buses近藤大彗らとバンドの現在地に迫る

アークティック・モンキーズ(Photo by Zackery Michael)

 
アークティック・モンキーズ(Arctic Monkeys)の通算7作目となるニューアルバム『The Car』が、ここ日本でも大きな話題を集めている。このたび過去タイトル全作の紙ジャケ・高音質UHQCD新装盤リイシューも決定(詳細は記事末尾)。UK最重要ロックバンドはどこへ向かおうとしているのか。荒野政寿(シンコーミュージック)による解説コラムと、アークティックの初期ナンバーからバンド名を拝借したNo Buses・近藤大彗のインタビューをお届けする。


1. 車、ミラーボール、憂鬱と寂寥
荒野政寿

2018年の前作『Tranquility Base Hotel & Casino』の反動で、さすがに少しはヘヴィなギター・ロック側に揺り戻すのでは……と勝手に予想していたので、『The Car』を包むメロウさには心底驚かされた。ストリングスをたっぷり使ったドラマティックなアレンジに、アレックス・ターナーがラスト・シャドウ・パペッツや映画音楽で試していたことは「別の流れ」ではなく、今このように合流するのか、と感慨を覚える部分もある。アレックス自身もそう感じているようで、「今となっては、少なくとも僕にとって、完全に別物なんてありえないんじゃないかと思う。自分のやることすべてが、次に影響するような気がするから」と発言している(Apple Music掲載のインタビューより)。


Photo by Zackery Michael

ここまでアレックスのカラーが強まって、メンバーのモチベーション的にどうなのだろう、という疑問はあるが、かといってソロ・アルバムのようには聞こえない。キャリアを重ねて技術的に熟達してきたメンバー同士が、会話を重ねるようにグルーヴを編んでいく。そこに力みはないし、抑制された心地よいリズムとビートがじわじわと湧き出てくる。

リズム・セクションの変化から、インプットされる音楽の傾向が少し変わったのかな、とも感じた。本作を聴いて真っ先に思い浮かんだのは、アル・グリーンに代表される、メンフィスのHi Recordsの作品群。アル・ジャクソン、ホッジス兄弟などを起用、切れのあるリズムと情感豊かなストリングスを絶妙なバランスで同居させていたウィリー・ミッチェルのプロダクションは、本作で参照されていたとしても不思議ではない。

メンフィスといえば、アルバムの印象的な写真は、ドラマーのマット・ヘルダースがウィリアム・エグルストン(メンフィス出身の写真家、ビッグ・スター『Radio City』のジャケット写真を撮影したことでも知られる)の作品に触発されて撮ったそう。まったくの偶然だと思うが、実際、エグルストンがメンフィスで撮り続けた初期の作品は、本作の世界とフィットする寂寥をまとっている。





ウィリアム・エグルストンの写真、Instagram(@egglestonartfoundation)より引用。右上がビッグ・スター『Radio City』ジャケットに用いられた作品。

カーティス・メイフィールドを引き合いに出して本作を語っている評者もいるが、ワウ・ギターに対する考え方がカーティスとはかなり違う。手/足がギター/ワウ・ペダルに直結、一音一音で“語る”タイプのカーティスに対し、「I Ain’ t Quite Where I Think I Am」で聞こえてくるのはオートワウ(ペダルを踏み続けなくてもワウ効果を得られるエフェクター)を用いたプレイ。このプラスティック・ファンク感溢れる、ちょっとコミカルな響きのギターに身を委ねていると、後半にドッとストリングスが押し寄せてきてたちまち風景が一変する。時間をかけて練り上げたのが感じられるアレンジだ。

ソウル/ファンクへの接近が顕著になる一方、もともとの持ち味であるスコット・ウォーカー、デヴィッド・ボウイといったシンガーたちから受けた影響も、引き続き色濃く出ている。いかにも英国的なオーケストラル・ポップに、一見すんなり混ざりそうにないソウル/ファンク要素を同居させている点、そしてアルバム冒頭の曲にミラーボールが登場(!)する点で、ポール・ウェラーの『On Sunset』(2020年)と重なる部分もあるが、同作はサウンド的に多くの要素を詰め込もうとした分、アルバムとしてはやや散漫なところがあった。全体の統一感では『The Car』に軍配が上がるし、楽曲のムードに完璧に寄り添った歌詞が見事な効果をあげている。訳詞を読みながら曲の世界に没入して聴き進めると、1本のロード・ムービーを通して観たような満足感が得られるはずだ。



アレックスは歌詞について、必ずしも自分の体験を書くわけじゃないという旨の発言をしているが、それにしても『The Car』の告白的な歌詞はあまりにも赤裸々だ。ここまで感傷的な気分に支配されたアークティック・モンキーズのアルバムを他に知らない。全体の柱となるのは恐らくある人物との別離で、それを象徴するように“車”のイメージが現れては消える。

同じ時期にまとめて書いたわけではないのだろうが、「There’d Better Be A Mirrorball」で提示された“車”は、海岸沿い(「I Ain’t Quite Where I Think I Am」や「Jet Skis On The Moat」)を周り、やがて「Perfect Sense」でホテルへ戻ってくる……と、連続性を持たせて深読みすることもできそうだ。その間に「The Car」で挟まれる独白、「でも車から何か取ってくるまでは、まだ休暇とは言えないんだ」で、逡巡の中にいる主人公の心情があらわになる。

自身の音楽キャリアに対して言及しているのでは、と感じる歌詞もある。“何でもあり”と題された彫刻作品群を前にして、過去の音楽シーンにそれを重ね合わせる「Sculptures Of Anything Goes」の刃は、他者にのみ向けられたものではないだろう。「Hello You」に出てくる一節、「この電気の武者の自動車パレードがあの大通りを疾走することはもうないだろう」のナイーブさも気になるし、締めの「髭を剃り、一寝入りすれば、僕だってきっと17歳で通るはず」は、真意のほどはともかく、今や36歳になったアレックスに言われるとハッとする。

「Perfect Sense」で歌われる「連続無敗を記録したまま最終ストレートに突入しても、これはレースなんかじゃないと僕に念押し続けてくれ」は、アークティック・モンキーズを20年以上走らせ続けてきた者の憂鬱と無縁ではないはず。本作はテイラー・スウィフトの『Midnights』に阻まれ、デビュー以来続いてきた全英アルバム・チャートでの連続No.1を達成できなかったが、ここで余計な肩の荷がおりたことは、バンドマンとしての生き方を長い目で見ると、かえってよかったのかもしれない。

スタジオで徹底的に作り込んだ『The Car』の楽曲をライブでどう表現するのか想像できなかったが、先日YouTubeで公開された『Arctic Monkeys at Kings Theatre』では、新曲も過去の代表曲と違和感なく共存させており、ライブで熱狂を巻き起こしてきたバンドの底力を感じさせた。ステージ上で化けそうな曲も多い『The Car』が、今後のアークティック・モンキーズをどこへ連れていくのか、ここから始まる新しい旅に期待したい。


『Arctic Monkeys at Kings Theatre』からの映像

 
 
 
 

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