『Thriller』40周年 マイケル・ジャクソンの革新とモンスターアルバムの真相に迫る

『Thriller<40周年記念エクスパンデッド・エディション>』ジャケット写真

 
マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)『Thriller』のリリース40周年を記念して、『Thriller <40周年記念エクスパンデッド・エディション>』が先ごろ発売。「人類史上最も売れたアルバム」として名高い本作のレガシーについて、音楽ジャーナリストの林剛に解説してもらった。


『Off The Wall』の踏襲であり踏襲ではない

今から40年前の1982年11月30日、マイケル・ジャクソンの『Thriller』が全米でリリースされた。日本発売は12月1日。全世界での累計セールス1億枚以上で、「史上最も売れたアルバム」 としてギネスブックに認定されるなど、何かと記録や数字が強調される作品でもある。アルバム全9曲中7曲がA面としてシングル発売され、先行発表されたポール・マッカートニーとの「The Girl Is Mine」を筆頭に、最後にカットされた表題曲の「Thriller」まで、足掛け3年にわたってヒットが続いた。結果、1984年の第26回グラミー賞では『Thriller』関連で12部門にノミネートされ、8部門を受賞している。

発売から半年後、当時洋楽好きで意気投合した友人の家で『Thriller』を聴いた時のことをよく覚えている。途中でアナログをB面に裏返した記憶がないほどその音世界に没入し、「The Lady In My Life」が終わると、ふたりともしばし放心状態。その後、友人がカートリッジを上げながら、「これは歴史に残るアルバムだよ。俺らは凄い体験をしている」と呟いた。音楽評論家のような口をきく中学1年生というのも笑えるが、彼の感想は100%正しかったと、発売から40年経った今改めてそう思う。

アルバム制作に至ったのはマイケルの負けん気だ。2曲の全米No.1ヒットを生んだ『Off The Wall』(1979年)が1980年の第22回グラミー賞で「最優秀R&Bボーカル・パフォーマンス賞」だけにしかノミネートされず、受賞もできなかった悔しさが創作の原動力となっている。また、本記事がローリングストーン誌の日本版サイトであることを踏まえて言うと、当時の同誌(US版)から「黒人が雑誌の表紙を飾っても売れない」との理由で掲載を拒否されたこともマイケルの心を傷つけ、それも理由のひとつとなって人種やジャンルを超えたボーダーレスな音楽を作ることを決心したとされる。『Off The Wall』 の制作を通じてクインシーからメソッドを体得し、ジャクソンズ 『Triumph』(1980年)などの制作に活かしたマイケルは、それを実現させるだけの自信もあったのだろう。

クインシー・ジョーンズによるプロデュースのもと、演奏やアレンジ、ソングライティングには、前作からの続投となるグレッグ・フィリンゲインズ、ロッド・テンパートン、ルイス・ジョンソン(ブラザーズ・ジョンソン)、ジェリー・ヘイを中心としたシーウィンドのホーン隊などが参加。加えて今作では、当時上り調子だったTOTOのメンバーが大抜擢されている。




そんな『Thriller』について端的に言うと、『Off The Wall』の踏襲であり踏襲ではないということ。それは前半の2曲で明確化される。クイーカやクラップを交えてファンキーに疾走するマイケル作のダンス・ナンバー「Wanna Be Startin’ Somethin’」からロッド・テンパートンが書いたメロディアスなミッド・グルーヴの「Baby Be Mine」への流れは、『Off The Wall』における「Don’t Stop ’Til You Get Enough」から「Rock With You」への流れにそっくりだ。が、生楽器中心だった『Off The Wall』の2曲とは音の感触が違う。「Wanna Be Startin’ Somethin’」はルイス・ジョンソンのメカニカルなベースがグルーヴを生むが、歯切れのよいビートはドラムマシンによるもの。「Baby Be Mine」もグレッグ・フィリンゲインズやマイケル・ボディッカーらがシンセサイザー/プログラミングを担当し、80年代らしいエレクトリファイされた音になっているのだ。表題曲の「Thriller」も、同じくロッド・テンパートンが書いた『Off The Wall』の表題曲やロッドがいたヒートウェイヴの「Boogie Nights」(1976年)を思わせるが、鋭角的なビートはリンドラム(LM-1)、ベースの音はミニモーグで鳴らしている。これらが『Off The Wall』の踏襲であり踏襲ではないという理由だ。





ポール・ジャクソンJr.のギターが滑走する都会的なダンス・ナンバー「P.Y.T.(Pretty Young Thing)」でもコーラス部分にボコーダーを使った加工ボイスが飛び出し、80年代的な印象を与える。そのコーラス隊には、クインシーと曲を共作したジェイムス・イングラム、シャラマーのハワード・ヒューイット、さらには「P.Y.T.’s」としてマイケルの姉ラトーヤや妹ジャネットまでを招集しているのだから贅沢だ。コーラスといえば、「Wanna Be Startin’ Somethin’」でのウォーターズやジェイムス・イングラムらによる溌剌とした歌声も忘れ難い。特にマヌ・ディバンゴの「Soul Makossa」(1972年)に着想を得たとされる終盤のアフリカンなリフレイン(後にリアーナが「Don’t Stop The Music」で引用)は、アメリカの都会とアフリカの大地を結びつけて全世界の黒人を祝福しているかのようなスケールの大きさで、目が覚める思いだ。



 
 
 
 

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