おばさんたちが運営するチャーチはつつましく優しい居心地

自分たちが演奏してる間の写真がないので、リハの風景。日本で教会というイメージからはだいぶ遠い、集会所みたいな質素なスペースです。ちなみに前のところも今のところもペンテコステ派です。

中年ミュージシャンのNY放浪記、vol.2以来約5年ぶりとなるチャーチの話題は、今年になって通い始めたゴスペル教会にまつわるあれこれです。最近非音楽ネタが続いていたので担当編集としては安堵しております。

以前通っていたチャーチに行かなくなってしまったのは2020年の晩秋だったので、2年近いブランクが空いてしまったのだけれど、夏に日本から帰ってきてすぐ、新しいチャーチから声がかかって演奏しに通っている。前のところに比べると都市部にあることもあって規模は小さく、でも圧倒的に近くなったのですごく便利。

そもそもどうして、とてもよくしてもらっていた前のチャーチに行かなくなってしまったかというと、複合的な理由なのでひとことで言うのは難しいのだけれど、信徒のなかでも割と熱心で中心的な役割を果たしていた人ふたりが2020年の春と夏に立て続けにCovidで死んで、チャーチというのは歌うし喋るし抱擁しあうしで構造的にパンデミックにとても弱いことが露呈していたんだけど、そのなかで、うーん、これはとてもデリケートに書かなければならないけど、アジア人が教会にいることに違和感を覚えてる人がごくごく一部だけど、いたんだよね。

もちろん直接的にそんなことを口にする人はいないんだけど、あるときそういったニュアンスの会話を立ち聞きしてしまって、ちょっと居た堪れなくなってしまったというのが正直なところ。なにより私は実際に3月から4月にかけてCovidに罹患して、熱が出るまでは教会に通っていたので、ほんとに私がチャーチにウイルスを持ち込んだのかもしれないし、逆にチャーチで感染したのかもしれないし、そんなことは解明しようがない。

だから気にしても意味がないし、でも実際に死人が出て、そうすると構成員の全員がえも言われぬ罪悪感と猜疑心みたいなものに包まれるというのがパンデミックの現場のメンタリティだ。その頃はまだこのウイルスがどんな振る舞いをするのかもよくわかっていなくて、ワクチンだってまだなくて、そんななかでトランプが記者会見でチャイナヴァイルスとかカンフルー(カンフーとインフルエンザの合成造語)とか連呼したり、コメディアンがテレビで中華料理を食べちゃったけど感染しないかしら、とか冗談なんだか本気なんだかわからないことを言ったりして、そういったアジア系に対する「あいつらが病原菌をばら撒いてるんじゃないか」というまなざしが、これははっきりと社会全体に蔓延していたので、チャーチにおいてそういった影響が完全に排除できるかといえば、それもまた難しい話なのだった。

もしこの話をパスター(牧師)やミュージックディレクターにしたとしたら、「そんな懸念は1000%間違ってるし、一切耳を貸す必要はないし、君が感染源だなんて思ってる人間はこのコミュニティに誰ひとりいないし、だからそんなことで来るのをやめてはいけない」って間違いなく言ってくれただろう。普通に考えればそのとおりなんだけど、でもパンデミックによって私自身のメンタルが弱体化していたことも相まって、結果としては行かなくなってしまったのだった。あんなによくしてもらっていたのに。

さておき、今年に入って知り合ったエリックという全盲のピアニストがいて、何度かブロックパーティとかオープンマイクのハコバンの仕事とかを共にしていたのだけれど、彼が弾いてるチャーチでちょっと予算に余裕ができそうなので、一緒にやらないか、と声をかけてもらったのだった。先に話したような心の傷もだいぶ癒えていたこともあって、ふたつ返事で引き受けた。

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE